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悲しきガストロノームの夢想(45)「牛肉の時雨煮」

悲しきガストロノームの夢想(45)「牛肉の時雨煮」

 小学校の家庭科で「ほうれん草のサラダ油炒め」を作ったのが、記憶に残る私の調理の最初の風景です。たぶん三年生だったと思います。ただただ塩と胡椒だけの味つけでしたが、美味いという感激は今も残っています。
 その後、調理に目覚めた私は、目玉焼きやハムエッグなどに挑戦しては、うむうむ美味いと喜んでいました。
 「牛肉の時雨煮」もかなり初期にトライしたのを覚えています。母のお弁当のオカズはいつも同じで、卵焼き、焼きタラコ、そして牛肉の時雨煮。調理への興味が増していくと、いつも同じお弁当のオカズなのにお弁当が嬉しくて、早く起き出し、母にくっつくようにして、調理の手さばきを見つめていました。
 自分で「牛肉の時雨煮」に初めて挑戦したのは中学生に入った頃だと思います。四六時中お腹を減らしていたので、大盛りご飯に合うオカズには「牛肉の時雨煮」がピッタリでした。甘辛く濃い味の「牛肉の時雨煮」が少しあるだけでご飯がガツガツ食べられるという本能にも似た食への衝動が、「牛肉の時雨煮」調理の世界に誘いました。
 ところが、この「牛肉の時雨煮」は、かなり奥が深いのです。半世紀以上経っても、納得したものが作れません。甘すぎたり、醤油辛くなったり、生姜が効きすぎたり、汁がうまく飛ばなかったり…。
 「ケチの方が料理が上手い」という父の格言どおり、「牛肉の時雨煮」も調味料や火力をケチった方が良さそうです。スマホが行き渡り料理レシピが花盛りですが、父の格言通り、やり過ぎ感が否めないレシピが大勢のようです。そんなにしょっちゅう作らない「牛肉の時雨煮」なので、今日は作ろうとスーパーへ行くと気合いが変に入り、食材を整えてキッチンに入るとさらに熱が高まり、気づけばケチとは逆方向に走っています。
 いつの日か、100%納得ゆく「牛肉の時雨煮」を作りたいものです。中嶋雷太

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