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私が書いた物語のなかから(4)「贋作じゃない人」

 子供のころの私の「大人」のイメージは、かなり悪い人とその他数多くの善良な人の二構成でした。かなり悪い人と言っても「私は悪だが?それで何か?」というある種の格好良さがあると思っていました。ところが、齢を重ねると、虚飾まみれの大人たちがゾンビのようにあちらこちらに見えてきました。善悪というより、品がないとでも言えば良いのかもしれません。
 反政府的だけれど有名人が大好きで皆んな仲間だよねと強制し窮屈な村作りが好きな大人、政府大好きだが日本書紀や源氏物語さえ読んだことなどなく、本当は国のことなどどーでも良い大人……。鶴田浩二さんの歌にあるとおり「右を向いても、左を見ても、馬鹿と阿保のからみあい、どこに男の意地がある」が耳の奥で聴こえてきます。
 呆れてものも言えない世のなかですが、そんな大人をどのように表現すれば良いものかと、「春は菜の花」を執筆中に悩んでいたとき、贋作という言葉が脳裏にふと現れました。
 「あの人はあんな風に見えて一所懸命に生きようとした。誰かが作ったルールに抗い闇雲に生きた。見かけだけ取り繕ったのが世の中には多い。そういう意味で、贋作じゃなかった」と、主人公・太一の三人目の妻が、太一の葬儀のあとでつぶやきます。
 贋作が跋扈する時代は荒れます。つまり、紛いものが偉そうに威張るのを社会が許しているからです。そんな方々は、一回きりの人生を汚濁まみれで終えるのだろうなと思います。祖母は「悪いことしたら、死ぬとき鬼が出てくる」と幼い私を脅していましたが、本当にそうなのかもしれません。
 たとえ凸凹の人生であっても、名もなき真性な生き方をする大人たちが増えるよう、心から祈るばかりです。中嶋雷太
 「春は菜の花」を原作とし小編映画『Kay』(監督:鯨岡弘識)を製作し、海外で30以上ものアワードを受賞。2022年春、下北沢トリウッド、夏に名古屋シネマテーク、そして秋には関西で劇場公開となります。ぜひ、原作をお読みください。小説ではなく、そこに映画があります。「2022年版・春は菜の花」は、Amazon PODで購入できます。春は菜の花 2022年版 https://amzn.asia/d/4VhbHrS

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