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「作るもの」と「創られるもの」 [23]


23.初代教会誕生の経緯 [5]


初代教会誕生の経緯には、イエスの祈りがありました。

教会誕生の経緯に、イエスが父なる神に祈られたことを見逃すことは出来ません。

その祈りの内容は、ヨハネの福音書17章全体及んでに記録されています。

その冒頭部分は、

ヨハネ17:1-2
これらのことを話してから、イエスは目を天に向けて言われた。
「父よ、時が来ました。子があなたの栄光を現すために、子の栄光を現してください。
あなたは子に、すべての人を支配する権威を下さいました。それは、あなたが下さったすべての人に、子が永遠のいのちを与えるためです。…」

この祈りは、イエスが裁判に掛けられるために捕えられる直前にささげられた重要な祈りです。

タイミングとしても大切な時でした。

そして、この祈りには、イエスが何度も重ねて、父なる神に願う事がありました。

それは「一つになる」「一つにしてください」という父なる神への祈りでした。

これから後に誕生する「教会」にとって、「一つになる」ことは不可欠でした。

「教会」とは、言い方を変えれば、人々が「一つになる」と言えるものです。

ヨハネ 17:11
わたしはもう世にいなくなります。彼らは世にいますが、わたしはあなたのもとに参ります。聖なる父よ、わたしに下さったあなたの御名によって、彼らをお守りください。わたしたちと同じように、彼らが一つになるためです。

ヨハネ 17:21
父よ。あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちにいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちのうちにいるようにしてください。あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるようになるためです。

ヨハネ 17:22
またわたしは、あなたが下さった栄光を彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。

ヨハネ17:23
わたしは彼らのうちにいて、あなたはわたしのうちにおられます。彼らが完全に一つになるためです。また、あなたがわたしを遣わされたことと、わたしを愛されたように彼らも愛されたことを、世が知るためです。


この祈りは、重要なことを教えてくれます。

弟子たちは、この祈りがささげられる時点では、イエスが言われる「一つ」には、なれていませんでした。

また、十字架に掛かる前に、イエス自らが弟子たちを「一つ」にしようとはされませんでした。

イエスは弟子たちが「一つ」になることを、父なる神に祈りゆだねられました。

「一つ」になることは、これを引き受けられた父なる神の創造の働きによるものだったのです。

2019年、ラグビー日本代表が掲げたスローガンは「ONE TEAM」(ワン チーム)でした。

チーム一丸となって取り組み、戦うことを意味していました。

企業や他のスポーツなどでも「ONE TEAM」のスローガンは多々流用されました。

人は、「ONE TEAM」「一丸となって」「一致団結して」「一枚岩となって」、物事に取り組むことが出来ます。

それは、より優れた取り組みになる可能性があり、成功例は多々あります。

けれども、それと同じような考え方で、「神の教会」を人の考えや知恵で「一つになろう」としてはいないでしょうか?

神が望まれる「一つになる」ことと、人が考える「一つになる」ことは、同じではありません。

その内容もプロセスも異なっていきます。

イエスが父なる神に祈りゆだねられた「一つになる」ことを、私たちは自分たちの手で「一つにしよう」としてはいないでしょうか?

イエスは、「一つになる」教会が、ご自分の手によってではなく、父なる神に創られていくことを、御心とされていました。

だから、弟子たちが「一つになる」ことは、何度も念入りに、父なる神に祈り、託されたのです。

しかし、「教会」に対して、私たちにはそのような概念があるでしょうか?

メンバーをまとめるために、自分で考えたり、色々な方策を調べたり、良さそうなものは導入しようとしたり、してはいないでしょうか?

神に「創られる」ことを意識していなければ、人は容易に「作る」ことを考え、取り組み始めます。

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