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自分の過去にしっかり寄り添う

これまでのわたしは自分の内側に意識を持っていくどころか、
なぜ?なんで?と常に自分の外側に意識を向けていることが多かったと気付きました。


こんなにも苦しんで生きてきたのは親のせいだ。
誰か私を助けてと・・・

いつも心の奥底にはこういった思いで溢れてまくっていたはず。
なのに自分自身のことに向き合うのは本当に怖かった。
向き合うことで傷ついた過去を改めて思い知るのは怖かった。
これ以上苦しみたくなかった。
これ以上悲しみたくもなかった。


色々あっても逞しく乗り越えて生きてますけど何か?ぐらい
殺伐とした感情で、様々な出来事、苦しい時こそ
ただただじっと時が過ぎ去るのをじっと待った。


プライドなのか恥なのか分からないけど
強いふりをした。分からないふりもした。

気丈であること冷静であること落ち着いておくこと。


試練は耐えれる人にしか起こらない
誰の名言かは知らないけどその名言を信じた。

時には空へ向かって
神様・・・遠回しに何か事を起こすのはやめて欲しいです。
何か試練の意味があるならもう直接言って欲しいと何度も願いました。

枯渇してしまった涙も枯れ果てそうだった。
心の中では何度も死んだ。
死んだことにしようと訳が分からない思考にも
包み込まれた。

無心になりたかった。何も考えられないようになりたかった。

私の人生の一部しか知らないくせに
あなたみたいな人生だと私だったら死にたいと
軽々しくいう人もいた。

次から次へと不幸が来るってお祓いや宗教加入も薦められた。
前世でだいぶ悪いことしてきたなとも他人は笑う。

知人や同級生から悩み相談もよく受けた。
私に相談している人は
どこかであいつの人生よりマシ。あの子より私はマシと。
まるで悩み相談を聞きながら、ある意味
私が底辺の人生を送っている事によって、みんなを元気付け
勇気つけていた。

  誰も私の悩みには答えられなかったけど。


学生の頃からみんなの悩みの相談に乗っても、そんなことが悩みになるんだとシラけて聞いてる部分も多かった。
友達やねんからなんでも話してって平凡な人生の友達という名らしき人が
そう言ってきた。
その頃から、私は人に心を開けるのも苦手になった。

同情されるレベルでもなかった。

軽く話すだけでも空気が重くなって言葉に・・・そして答えに困っているのが空気で感じた。
言った方が虚しくなるのもその頃に知った。虚無感とういう心が増えた。

子供の頃、近所の人からも可哀想な子だと言われ
親戚にも引き取れるなら引き取ってあげたいと大人同士の会話が
聞こえてた。

その度に少し期待をしていた。現状が変わるかもしれないと・・・
でも誰も助けてはくれなかった。

傷が付いた姿で学校へ行っても、ほとんどの先生が親にされたとは信じなかった。今の時代ならきっと保護されたかもしれないな。

こうして少しずつ過去の苦しかった思いをひとつずつ吐き出して、
書いては涙が出て苦しくなる時もあるけど、ちゃんと自分に向き合い
よく頑張ってきたと自分で自分の心を知ることで少しでも
癒しに繋がるのならしっかり向き合いたい。

新たな人生の後半戦をぐるぐる思考から抜け出し解放させ
自分らしさというものも見つけてみたいし本当の自分にも
出会いたいし心から楽しいと笑い泣きするくらいの日々を送りたい。









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