バートランド・ラッセル 「私がキリスト教徒でない理由」(1927) 15/15 【我々はどうすべきか】
最後の段落です。原文はリンクをご覧ください。
戦争や内戦の多くが、宗教に関連しています。
宗教は現代の人間に必要なのだろうか、(信じてきたものを要らないと言われて納得する人もそうそういないと思うので)少なくとも宗教ともう少しうまく付き合えないのだろうか、そんな疑問を感じて道標をラッセルに求めて読みました。
我々はどうすべきか
自分自身の足で立ち、世界をありのままに見つめるべきだ ー いい事実も、いやな事実も、美しい部分も、醜い部分も。世界をありのままに見つめ、恐れないことだ。
世界を知性で克服する。世界を知る恐怖に虐げられるのではなく。
神というコンセプトはそもそも古代東洋の独裁政治から派生したものだ。
自由市民には全く似合わないコンセプトである。
教会では、自分を卑下し、自分は惨めな罪人であるなどというが、そのような卑劣な考えは自尊心を持つ人間には相応しくない。
立ち上がり、世界を正面から率直に見つめねばならない。
世界のことを可能な限り理解しなければならないし、(その結果として世界が)希望するほどいいものでなかったとしても、これまでの「理解」よりはまだましだろう。
いい世界には、知性、思いやり、勇気がいる。過去を悔やむ必要はない。遥か昔に無知なる人々が口にした言葉が、自由な知性の足枷になってはいけない。
恐れずに未来に向き合うことと自由な知性が必要だ。
死んだ過去を振り返るのではなく、未来への希望が必要だ。そして、我々の知性が生み出す未来は、過去よりもずっとよいものであるに違いない。
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