1日1作文 7日目

1週間なんとか続けてこられましたね。この調子でだらだらのんびりやっていきたいです。

今日は認識について思っていることを少し。

文字を見て単語を把握するときに自分は長さと大体のイメージで認識をするのですが、これを長年続けてなぁなぁにしておくと少しつらいです。
わかりやすいところで言えば、「ふんいき」を「ふいんき」と読んだりでしょうか。

こういった小さな誤解というのはふとした時、それも結構真面目な場で起こってしまったりするので良くないんですが、困ったことにそれらはそういった場でしか気づけない場合が多いような気がします。
なぜなら普段そういった厳密さに気をつけて会話を自分があまりしていないからですね。

自分は耳があまり聞こえない(聴覚検査は問題なし)のですが、そういった場合は前後の文脈なり相手の声の感情なりで判断をすることが多いです。
なので対面で音声が媒体のときにいちいちお互いの発音や読み方をよほどのことがない限りは気にしないのです。まぁ、よっぽどひどい間違いはそういいた場でも気がつくのですが……。

ただこれだけ長く人と会話をこなしてきても意外と一人で本を読んだりしたときに身に着けてしまった「勝手な読み方」や「ちょっとした入れ替え」に気がつくことは日常ではないと言っていいでしょう。
そもそもそういった自分の読み方や書き方で覚えてしまったものは前提が「周りであまり使われない」ものが多いからです。

あまり使われないものは自分でその呼び方や書き方を決めておかないと(ここで辞書なりで調べればよいのですが、読書や鑑賞中にあまりそういったことをしたくない性分で、終わるときは終わるときでそのことを忘れていたりします……。)いけない、となって勝手に決めつけてしまうわけです。そして肝心なときにふと出てしまい周りと改めて修正していく、というのが流れになっていたりします。

前の作文(?)でも書きましたが自分と他人は結構違うものとして覚えておかないと少々つらい場面が多いような気がします。特に一人で勉強や趣味をしている人はそうなりやすいと経験則的に判断できます。なので、一人でやっていることは定期的に出していかないと自他の乖離は離れていくので、離れすぎない程度に交流は必要があるんじゃないかなぁ、と。


というわけで今日の本の紹介。

https://www.gentosha.co.jp/book/b6273.html

山田悠介さんの『奥の奥の森の奥に、いる。』。
この作者の作品はギミックはシンプルで物語が壮大なものが多く、表現や言い回しもわりかし直截的なので読みやすいです。ただその分残酷な表現もおおいため、苦手な方は要注意、といった感じです。
中高生に人気の作家なんですけど普通にR15以上でだすべきでは?と私は少し思いますが……。

その多くの作品の中でもこの読み上げると舌をかんでしまいそうな作品は、とある遺伝子を受け継いだ人たちが政府に管理されている、といったところから始まります。
(自主規制)や(自主規制)があるのでおすすめ、というよりかはこういった物語の進め方もあるんだ、面白いといった観点で紹介しているので、過激な表現でも大丈夫な方は、一度読んでみてください。


1週間も続いて自分が一番驚いています。まぁこれからものんびりグダグダ書いていきます。ではでは。

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