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【Disk】Oranssi Pazuzu / Mestarin Kynsi

 各メタルメディアや信頼できる方の個人サイトでも軒並みベストアルバムの上位にランクされ、恐らく2020年のメタルシーンを振り返る際に欠かすことの出来ない作品となったOranssi Pazuzuの5th。自分としては、音の目新しさは頭で理解する一方、どうしてもアフィニティレベルが上がってこず敢えてベストアルバムの選外にしましたが、この怪作について語らずに年を越せない気分となり、NHK紅白を横で観ながら酔っぱらう前に(既にビールから日本酒に移行してますが…)急遽レビューを書き始めました。

 本作について触れる前にふと思ったのが、音楽的な新奇性・特異性が際立ち自分の中での評価も高いにも関わらず、何度も繰り返して聴かない(愛聴盤にならない)ディスクというのが長いロック史の中ではいくつかあるなということ。

 ・Can / Tago Mago
 ・Univers Zero / Ceux du Dehors
 ・King Crimson / Starless and Bible Black
 ・P.I.L. / Metal Box 
 ・Watchtower / Control and Resistance  
etc.

ジャンル無視で作品を挙げてみましたが(感覚が古くてすみません!)、上記作品のどれもが聴くと確かにこの2020年の今でも「凄さ」は理解できるんですが、自分の中での快楽指数がどうも上がってこないという点で共通項があります。もちろん個人の嗜好の問題ではあるのですが、これらの作品とOranssi Pazuzuとに何かシンクロするポイントがあるのではという仮説のもとに、本作の掘り下げをしてみたいと思います。

 まず作品全体の印象としては、サイケデリックでスペーシーでミニマルでダンサンブル。Voの汚い叫び声とまれに爆発する圧倒的な肉体性(M3、M6くらいですが)にブラックメタルの要素を感じるものの、基調となっている音楽的イディオムは、クラウト・ロック(ジャーマン・プログレ)や中期King Crimsonに代表されるプログレッシヴ・ロック、それにトリップ・ホップやミニマルなどのエレクトロニック・ミュージックといった感じで、最早ブラックメタルの進化系とも呼べないくらいのジャンレスな先鋭っぷり。メタルという音楽フィールドの懐の深さを感じさせてくれます。

 上記の文面だけ見ると、ジャンル越境型の非常に面白そうな音楽ですし、実際他に類のない音を鳴らしている非凡なアーティストではあると思います。ただし、冒頭で掲げた作品群と共通するのが、音を浴びている時は凄さを感じさせてくれるものの、リフ、フレーズ、展開などが意外なほど印象に残りづらいという点。もっと言えば、ポピュラー・ミュージックの真骨頂でもある「脳内再生」を拒むかのような脱キャッチーさ(親しみやすさ)を目指しているところが、おそらく自分の感覚にフィットしてこない最大の理由のようです。

 同じようにジャンルレスに雑多な音楽をミックスし、ハイテンションな勢いで再構築していくアーティストとしては、小生のメタル外フェイバリットであるジム・フィータス、Mr.Bungle、Primusといったアーティストがいますが、彼等はキャッチーであることに対しては非常に自覚的であり、かなり雑多なサウンドテクスチャーではあっても、ポピュラー・ミュージックとしての骨格は意識的に担保しているところに大きな特徴があります。

 一方で、Univers Zeroに代表されるチェンバーロックの暗黒パートや、中期King Crimsonのインプロ合戦は、先の展開の予想を拒むかのような非キャッチーな展開のオンパレード。脱ポピュラー・ミュージック化を多分に意識しており、「口ずさめないことが美徳」とばかりの難解な楽音が奏でられるのが特徴で、Oranssi Pazuzuの圧倒的密度が濃いのに、聴き終わると不思議と殆どフレーズが頭に残らない点と通じるものがあると思ってます。

 またミニマルなリズムを基調に、音響(ドローン・ドゥーム的ギター)を徐々に(あるいは突然大胆に)変化させる発想は、CanやNeu!といったクラウト・ロックの応用かつOranssi Pazuzuの明確な戦略であることは、ユン・ヒスのインタビューからも明白でしょう。

実際に小生が彼等の音楽を聴いた時の第一印象は、「Emperor的凶暴性」「Canの奇怪なミニマリズム」「Throbbing Gristleの冷たい狂気」だったので、今回のアルバムがクラウト・ロックや初期ノイズ/インダストリアルのイディオムを相当うまく咀嚼していたということなんだと思います。ただ逆に言えば、ポピュラー・ミュージックの目線では、いかに「親しみ辛い音」になっていたかということでしょう。

 更に彼等の脱ロック的アプローチの再解釈にも着目してみたいと思います。上記インタビューでも明確なように、彼等にメタルというジャンルの中に留まろうとする意識は希薄であり、P.I.L.やThe Pop Groupを筆頭とする70年代後半から80年代前半のニューウィーブ/オルタナティブのラディカルな「脱ロック」とのシンクロニシティを感じます。ただし、この手の「脱〇〇運動」が面白くなるか退屈になるかは結構紙一重であり、相当後追いで聴いたものの、P.I.L.”Flowers of Romance”やThe Pop Group ”For How Much Longer Do We Tolerance Mass Murder?”が自分にとっては絶対名盤である一方、同じアーティストの”Metal Box”や”Y"が愛聴盤であるかと言えば全くそうではないといったように、本作も現時点での「脱メタル」チャレンジの面白さは「買い」であるものの、「愛聴盤」化できるだけの音の求心力を兼ね備えていたかと言うと「?」というのが本音といったところです。

 これは30年以上ロックを聴いてきた自分の経験知として「繰り返し聴くだけの音の訴求力のないアルバムに名盤なし」という真理があり、そうした意味で”Mestarin Kynsi”は、多分に時代性を反映した上での「新しい音の創造」という戦略が勝ち過ぎており、本当の意味での名盤足り得るか(5年後も聴き続けられ、語られ続けるだけのパワーがあるか)は、もう少し時が経たないと分からないんだろうなというのが率直な思いですね。

 と、書き終えた頃には、年が越え、日本酒四合瓶を開けてしまっている状況になってしまいました。途中からちゃんとレビュー出来ていたか不安ではありますが、とにかく今年もよろしくお願いいたします!!

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