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独身者が競り落とされるシステムへの反抗と解脱


独身者が競り落とされるシステム

 今や結婚相談所の基幹システムにもなったマッチングアプリが「結婚を視野に入れた真剣なお付き合いをする相手を見つけるツール」として活用される副作用として、それはもはや「独身者が競り落とされるシステム」としての側面があると私は認識しています。

 独身のまま年齢を重ねた人を指す「売れ残り」という侮辱的な言葉は昔からありましたが、このようなゲームのルールに則って活動した挙句、自分は文字通り、原価割れした売れ残りになってしまったのだという不幸な考えに陥らないでしょうか。四年前くらいの私はそこに陥ったあげくゲームから離脱しました。

 それでも現代において、異性との出会いを見つけるのにマッチングアプリほど便利なものが他に見当たらないのであれば、例え不快なゲームであったとしても少しでも優位に立てる方法を探すのが最善かも知れません。

 そんな時代に需要が高まっているのか、主に都市部で「恋愛コーチング」を謳うサービス業者がいくつか存在します。実は私の身近でも、今年に入って旧知の人が「男磨きスクール」なるものを立ち上げ、新人コーチの研修も兼ねてモニターになってくれる人を探していると声がかかった為、私はお誘いに応じて体験してきました。

男磨きスクールの体験

 私の知人が立ち上げた「男磨きスクール」の基本方針は「一般的な女性の目線から見たコーチング」とのことで、受講者とコーチとの模擬デートを通じて、受講者となる男性の身だしなみや振る舞い、会話、マナー、女性への気遣いなどを確認し、採点と助言を行うのがサービスの要です。

 その他にも見た目改善の為の指導、恋愛能力の講義などがあるのですが、私は一回きりのモニター体験なので受けたのは飲食店での模擬デートだけです。

 実は驚くべきことに、私はこの模擬デートで、コーチから合格点をいただきました。

売れ残り後の三年間

 採点の結果、最も高評価を得られたのは「相手が自分と異なる意見を主張しても、否定せずに相手の気持ちに寄りそう姿勢が見られた」という点でした。また、身だしなみやマナーもおおむね高得点だったようです。

 思えば四年前の私は、場を盛り上げようとして自分ばかりしゃべり過ぎ、相手の反応など全く見えていませんでしたし、学歴などのコンプレックスが強く、努力してもうまくいかないという不満が募っていくうちにどんどん卑屈になり、人に接する態度がきつくなっていきました。

 転機になったのは、いまのリラクゼーションサロンでの副業をはじめたことだと思います。まず第一に美容業界は身だしなみが整っていないと話になりません。それにIT業界での率直に要件を伝えるコミュニケーションは美容業界ではひどく事務的で冷たいと受け止められるとわかったので、やわらかく、わかりやすく伝わるように表現を工夫するよう心がけるようになりました。

 実際、こっちとしてはいたって平常通りのつもりが、いら立って辛く当たっているとオーナーに誤解されてケンカになったことは何度もありました。もしかするとそれが、私が理解できていなかった「一般的な女性」の感覚だったのかも知れません。

 だとすれば、三年という長い年月を経て、自覚しないまま私の女性に対するコミュニケーション能力は少しずつ改善されていたのでしょう。

この苦しみから永遠に逃れたい

 これは確かに大きな変化だと思います。しかしながら、年齢や年収、学歴などで検索されるマッチングアプリのシステムでは、この三年ほどでコミュニケーション能力が上がったところで専門学校卒が大卒になれるわけでもないので検索上位にはなれない。むしろ、年収が少しばかり上がったものの、年齢が上がった分よけいに検索からはじかれやすくなっただけではないかと。

 その疑問をコーチに率直に投げかけてみたところ、このような答えが返ってきました。

「検索で引っかかるステータスにしか価値を見出せないような人に自分はふさわしくない、くらいの気持ちでいきましょう。実際そうですから。」

 明解な答えであり、それは真理だと思います。

 一方で自分はどうなのか。自分もかつては、女性のリストを眺めて、会うこともないまま年齢や容姿だけで人を選別していたのではないのか。自分も同じことをやってきたのではないのかと。

 このまま再びゲームに復帰したところで、自分に付いた値札が多少上がったと過信し、相手への要求がよけいに高くなるのではないか。もしかすると、プレーヤーのこうした考えの積み重ねが、マッチングアプリの「独身者が競り落とされるシステム」としての側面を強めているのではないか。

 この苦しみから逃れるには、執着を捨てて自分は二度と参加しないと決意し永遠に離れるしかない。私はコーチから「もったいない」と言われるのをふりきって解脱しました。

選ぶ自由と選ばれない不自由は表裏一体

 色々と書きましたがこれらは私自身の経験と感想であり、自分以外の人がどうあるべきかなどと主張する気はありません。私にそんな資格はありません。自分の希望を主張するのはその人の権利です。その希望を拒否するのはお相手の権利です。

 それでもこの経験から何か言えることがあるとすれば、実戦で自分を鍛えようとして果敢に立ち向かったものの、失敗続きで心が蝕まれてつぶれてしまうよりも、先にコーチングを受けて自分を見つめ直し、訓練を経た上で実戦に向かっても良いのではないでしょうか。

 私も今ではそう思いますが、再挑戦するには歳を取りすぎたのと、うちのオーナーのお世話をしている今の生活にわりと満足しているので、自分は一歩退き後に続く人たちを陰で応援していきます。