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冴えない中年男でも「傘」になれた ~「恋は雨上がりのように」眉月じゅん ~

ご都合主義とは一線を画す名作

 男性向けの漫画や小説、ドラマなどの主人公の男性は、大した理由が無くてもなぜか魅力的な女性に惚れられるという展開が非常に多いです。結局それは読者(および作者)の願望を形にしたものかも知れず、そのほうが売れるのだと思います。

 今回紹介する漫画、眉月じゅんの「恋は雨上がりのように」(小学館)は端的に言えば、高校二年生の少女が、離婚歴があり子持ちの冴えない40過ぎのおっさんに恋をする物語です。

 それだけ聞いて、

「男の妄想、キモっ!」

 と読まずに嫌悪するのは待っていただきたい。この作品は、老若男女幅広く共感を集めて、小松菜奈・大泉洋出演で実写映画にもなった名作なのです。

※ この記事は作品の結末に触れています。あらかじめご了承下さい。

空っぽになった心にしみたおっさんの温かみ

 主人公のたちばなあきらは陸上短距離走に青春の情熱をかけていましたが、練習中に脚の健を痛めて走れなくなります。目標を失い、土砂降りの雨の日にファミレスで無気力に過ごすあきら。

 そんなあきらを、覚えたての手品を披露して励ましてくれたのが、このファミレスの店長、近藤正巳まさみ45歳。

 この冴えないおっさんの愛嬌あいきょうが、人生の全てを注いでいたものを失って空っぽになった少女の心にしみわたったらしく、なんとあきらは店長に恋をしてしまい、部活のかわりにこのファミレスでアルバイトをはじめます。

 これこそご都合主義だ!と思うかも知れませんが、なかなか無いとは思うものの起り得ると思います。怪我で選手生命の危機となり打ちのめされ、周りの人々に同情されるのも辛く感じる中で、素朴な優しさを受けて心のもやが晴れた気持ちになることもあるでしょう。

 陸上と同様、全力で直進するひたむきさで、自分を救ってくれた中年男に夢中になることもあるかも知れません。

 ただし、店長は若い子の気を惹きたいなどとは全く考えておらず、ましてや本気で惚れられているとは夢にも思わなかったので、若者のまっすぐな好意を向けられてひどく動揺し、頭を悩ませます。

あの頃の熱気を思い出す中年男

 先に言っておきますが、あきらと店長は一線を超えることはありませんでした。ご安心ください。

 大人の良識から未成年であるあきらを受け入れようとしない店長と、叶わぬ恋に胸を痛めるあきら。それでも店長はあきらとの交流を通じて、自分が同じくらいの年頃に、作家を目指して夢中で原稿用紙に向かっていたあの頃の熱気を思い出します。

「勇気か…。俺には結局勇気がなかったんだな。文学を捨てる、勇気が…。」
「……捨てなかった勇気、じゃないんですか?」
「橘さんのそういうところ、僕は好きだよ。」
(中略)
「…今日のこと、俺きっと一生、忘れないんだろうな。」
「あたしも…あたしも忘れません!」
(中略)
「いいんだよ。橘さんは忘れたっていいんだ。」

「恋は雨上がりのように」第81話より引用

 この日を最後に、二人のちょっと変わった「恋愛関係」は終わりました。

 あきらはリハビリを経て陸上部に復帰。女子200m走の試合で新記録を出します。

 店長は相変わらずファミレスにいますが、再び筆を手に取り、仕事の合間で頭に浮かんだものを紙に書きつけています。

 あきらがファミレスに戻ることはありませんでしたが、店長から贈られた日傘は大切に使っています。雨傘ではなく日傘です。あの日のどしゃ降りの雨は上がったのです。

たとえ冴えない人生でも誰かの「傘」にはなれる

 例え大成しなかったとしても、かつての夢を捨てきらずに持ち続けているのは悪いことではありません。

 自分は何者にもなれず、冴えない人生を送っていたとしても、ちょっとしたきっかけで誰かの支えになることはできます。長く生きている分、若者に対して何かの救いになることもできるのです。

 そんな大切なことを丁寧に描いた、「中年男の願望」とは一線を画す名作です。