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ないものにしない

個人的な備忘録というより毒出し?


綺麗事でもない、そして読んで楽しいわけではないからきっとスキもつかないかもしれない、わたしの中の暗い心象心情noteなんて誰が読みたいものかと思ったら、
じゃあそんなこと書いてどうするの?というような声も聞こえなくもない。
わたしにしかわからない、わたしの中の確かにある暗い心情、コンプレックス。


今日はそのことについて、朝目覚めた時からそのワードが頭に浮かんで、
noteを始める前の私というより、まぁ今もだけど、手書きのノートに思いをつらつら何の為に?という感じだけど書いてやまない衝動みたいなものでそういう暗い感情でもなんでも書いていたようなことをノートに書くんじゃなくて、直接noteの記事にして書いてみたらどうなんだろう?と思ったんです。


怖いです。正直。


でも、noteを始めて多種多様な方々の記事を読むようになって、もちろんわたしにとって純粋にほっこりして楽しくなるような記事もたくさんあって、こういう考え方って幸せでいいなぁとスキをぽちっとできる記事と、


嫉妬に似た、なんだろう…羨ましいな、こういう感じの記事が書ける人の文章から垣間見える日常や人との関係性というような、わたしにはないものねだりの、
わたしじゃ絶対に書けないような世界観が綴られているものを読むと、
以前にもわたしのnoteに書いた、わたしの性格、本質的な暗さみたいなコンプレックスがチクチク刺激されてしまうような記事っていうのが確かにあるんです。

それが友達コンプレックスや夫婦コンプレックスです。(うわー、ついに書いてしまった。。)


この文章の着地がどこにどうなるのか
わからないままに綴っています。。


私にとって、足りない何かをそういう記事によって喚起され、でも何か書きたいというわたしの初期衝動は、きっとそういうコンプレックスをどう扱って昇華するかに尽きるような気がする。。


だから、もちろん言葉は選んで書くようにしないといけないけど、たぶんこのテーマだとわたしの中からずるずると引っ張り出したらネタはたっぷりある。それをうまく言語化できるかどうかは別として、、


でも、またここでそんな暗くて楽しくもない自分語りの記事なんて書いて誰得になるんだろうという声も自分の内から聞こえてきます。
でも確かにわたしの中にあって、
今でもチクチクと何かの刺激によって出てくる厄介なもの、そんなわたしのコンプレックスの記事をこれから少しずつ書いてみようかななんて思ったのは、少し覚悟もいります。

だけど一つ言えるのは、友達コンプレックスにせよ、夫婦コンプレックスにせよ
友達やパートナーである夫がどうこういうことではなく、きっとわたしの中の問題なんだということです。


何故、そういう自分になっちゃったのか記事を書いていく中で、判明していくこともあるかもしれない。


誰かにたくさんスキを押してもらいたかったら、こんなテーマで書かないほうかいいのかもしれないし、
まぁそもそもそんなにわたしの記事にスキがつく数がすごい多いわけでもないし、

でもわたしの持っている人との関係性の根本的ななにかがあって、でもこういう自分があるっていうことは見ないで蓋をしたり、ないものとして触れないで日常を何となく楽しんで送っていくことはできるし、そんなこと考えないほうがいい時もあるし、実際考えないでいられるほうが楽は楽なのかもしれない。


でもなぁ、、
ないものにしないで、そういう自分があることも自分で認められたほうがいいということは今までも少しずつ学んできたことでもあるので、少しずつ記事として書いていって、いつかマガジン化できるようなテーマってわたしにはそれしかないかもとも思ったというところで、今日はとりあえず〆たいと思います。