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読みたい欲について考えてみた

私も読んでばかりいないで、noteの記事をそろそろ一本くらい書きたいなとはいつも頭の中では思っている。

以前にも『読むことが好き』という記事を書いたことがある。
読書人の私の気持ちとしては、その記事を書いた時となんら変わらない自分だけど、最近の読書事情としての実感としては、あれも読みたい、これも面白そう、あれも気になるでほんと読むが忙しい。。


今の時代、どこに住んでいたっていろいろ読んでみたくなったら気軽に本を読めるありがたさ。



街の本屋さんは本が売れなくて閉店‥というのはさみしい気持ちではあるけれど、近所の図書館で予約して借りたり、Amazonで中古で安く買おうと思えば昔のものだって買えるし、
はたまたKindle読み放題で(私は断然Amazon派だ)気軽に気になるタイトルのものをポチっと試し読みすることもできるため、さらに乱読で積読になりがちな私の読書生活は加速する💦


図書館で予約した本が用意出来ましたと通知が来て図書館に借りに行く時は、贈り物が届いたようで嬉しいし、
Amazonでこの本読みたいと思ってポチッと押した時が、そしてそれが何日も経たずに家に届いた時がもしかしたら一番嬉しいかもしれない。
お目当ての本が手元にあるというよろこびで。

Kindleのライブラリー然り、図書館で予約した本やAmazonでポチッと押して購入した中古の本でもなんでも、目次とあとがきと(案外最初に読んじゃうあとがきは面白い)最初の数ページ、そしてタイトルをニヤニヤ眺めているだけで、本の内容には1ミリも踏み込まない積読のまま数日が過ぎる。。ということも多い私💦

そして、またその数日の間にもふと他にも気になる作家さんや、読んでみたくなる本のタイトルや、ここのnote上にもたくさんたくさん色んな方の色んな面白そうなタイトルの記事があるわけなので、こっちもあっちも乱読してしまう。

それでもやっぱり本を読んだり買ったりすることがやめられないのは知りたい欲依存症なのか、、
いや、そうとも違うような気もするな。

なんでだろう??考えてみたい。。
なぜ私はすぐ本が欲しくなっちゃうんだろう‥?

何に今まで一番時間とお金を使ったか?という自分を知る質問があったと思うけど、私は、思い返しても雑誌も含む本📕にはけっこうお金を使っちゃっているような気がする。


センスのいいおしゃれな人になりたいとは思うけれど、服っていうのは着たい服でも高いものは高い。
じゃあそのセンスのエッセンスを、、ということでファッション雑誌をよく購入していた時期もあった。必ずしも服を買うわけではなく、雑誌のなかのおしゃれな人たちのスナップやコラムを見て読んで、なんかセンスを学べたようなそんな自己満足。

そういえばセンスは知識なのだと知ったのも本の中。


本というか活字はたくさん読むけど、アウトプットしなければその知識はほとんど定着しないまま忘却の彼方へ‥というのも確かにそれはあるなぁとつくづく感じる。


私はよく、読んでグッときた一文なり、センテンス毎ノートにまんま書くのが楽しい趣味があるのだが、そのノートの数も数年分にわたりたぶん50冊以上はくだらない。


そのノートに書いたことっていうのはグッときて忘れたくないから書いているわけなのに、たまに読み返しをランダムにしてみても自分の中ではほんと面白いのに
やっぱり読むまで書いたことを覚えてないし、必ずしも私の中にその知識が定着している訳でもないんだなぁと読み返して思う。

それでもやっぱり読むのがやめられないのは、世の中に存在する数ある私のまだ知らない埋もれている言葉、埋もれている面白き本や記事の中から私の感性にビビッとくるものを発掘収集して、読んで味わうのが好きといえばそれまでなのだけど、
書籍なら欲しければにお金に糸目をつけずに買ってしまっても、たかだか金額だってしれているという満足度の高いコスパの良さ、そして知りたい欲も、感性も磨かれていると信じたい。

結論、ここまで書いてみて私が本を求め、欲しくなっちゃう理由がなんとなくわかってきた。


そして私の読みたい欲は目が見えるからこそのたのしみでもあるので、どうせなら老眼鏡もかけててうれしくなるようなものにしたいと思って、同じデザインで色違いとか、フレームの形もいろいろと揃えたくなる。それも楽しい。


やっぱり読めるってうれしい。そして読むって楽しい。それに尽きる。