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アウトプットが全然追いつかない

いま私は2回目のコロナに罹ってしまい、自宅で仕事も休み療養中。

2日目までは熱があったが、発症後3日目の今日はもう平熱に戻り、家事も堂々とお休みできることをいいことに昨日も今日も布団に横になりつつ寝たり起きたりで、noteの記事を読みまくって一日を過ごしていた。


昨日もコメントを送ったり、コメント返しをいただいたり、それだけで満足しちゃっていたら、なんだか自分の記事がもっと書けなくなるような気がしてしまうこわさもちょっと感じたりしていた。


noteって私にとってほんと面白い。
読み物として、いろんなクリエイターさんが独自の視点で記事を書かれていて、つい夢中に読んでしまって、読み専に成り下がりそうでこわい。

私は旧Twitter、今はXというのも情報収集としてもなんだか使いこなせていないし、Instagramも見るの専門みたいなところがある。
その上noteまでも読むの専門にはなりたくはないんだけど、読むのが面白そうな方をフォローさせていただいて書かれた記事をディグって読み深めていったりしていると、読むのだけで丸一日昨日も楽しく過ごせてしまった。


でもこれじゃマズイのではないのか、、という思いがふとよぎる、そんな今の気持ちなんかを今日は綴ってみようとおもう。


noteに限らず、何かを自分でクリエイトする人たちっていうのは、自分の作品を作るためにまわりの他のクリエイターの作品はもちろん好きでチェックするんだろうとは想像するけれども

影響されすぎては自分の作品として確立できないだろうから

やっぱりあまり周りの作品に影響されずに自分の作品をコツコツ作れるのっていうのは才能なのかしら、、と、ど素人の私は思ったりした。


今私のアタマに思い浮かんでいるのは私が好きなミュージシャンや作家さん、そしてnoteの中の職業ライターさんと呼ばれる方たちなのだけど


自分が発信したいテーマをある程度決めさえすれば書きたいことが次々と浮かぶものなのだろうか?


毎日安定投稿されているnoterさんもすごいなと思うし、その違いはなんなのだろうか。


たとえば今、このnote内でクリエイターフェスなるものをやっていて、書くお題に困ったら参加したいハッシュタグの記事をどうぞというのがあるのも知っているが



どんどんそれに参加するのもいいのかもしれないが、他の人の記事を読んでクオリティの高さに愕然として書けなくなるという記事もたまに見かけるが、わたしもまさにそんな感じだし、そんな人が読んで面白いと思われるような記事は書けないなと思ってしまう。


サクッと読みたいなと思われる記事っていうのはどういうものなんだろう、、なんて考え過ぎてしまうと、よけい書けなくなる。


創作ってなんだろう。


あまりほかの人の作品に影響を受けずに独自の作品を生み出せるっていうのは、
やはり産みの苦しみみたいなものがあるのかないのか、多作のクリエイターさんに尋ねてみたくなる。


よく言われるインプット:アウトプットの黄金比率は3:7ということは、あんまりインプットしすぎるのもよくないんだろうけど、私はインプットばかりしてしまってアウトプットが全然追いつかない。


どうしたらこれを乗り越えられるんだろうか。