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顔認証システム不安症と禅の考え方

言葉を変えてみる。言葉を抜いてみる。


『防犯カメラの顔認証システムに登録されて不審者扱いを受けている』と四六時中考えてしまうと辛くなりますよね。

梯谷(はしがい)幸司さんの著書『‟偽りの自分”からの脱出』(45ページ)に、禅問答とは、という話が載っています。

庭で竹竿につけられた赤い旗が風にはためいています。師匠である禅僧が、若い修行僧に「あれを何というか?」と尋ねます。弟子が「今日は風が強いですね」と答えると、下がるように言われ、日を替えて何度も同じことを尋ねられます。ある時何かを悟り「竹竿と呼ばれるものに、赤と呼ばれる、布と呼ばれるものがついていて、それがあるだけです」と答えると、師匠から先に進むのを許されます。

禅問答は、現実と信じ込みを徹底的に区別する修行です。現実にどう解釈をつけるかで脳の動きが変わり行動も変わると、梯谷さんは言います。風が強い、弱いというのは人間の解釈なのです。

臨済宗の東光寺のWEBサイトには、こんな話が載っています。

その昔、中国の修行僧が、山門に立てられた旗が風に揺らぐのを見て、一人は「旗が揺れている」と言い、別のものは「風が揺れている」と言って喧嘩になりました。臨済宗第六祖である慧能禅師は、争う二人に「風が動くにあらず、旗が動くにあらず、お前たちの心が動いているのだ」と言った、と。

風の話|法話 - 臨済宗 大徳寺派 東光寺 (d-tokoji.com)

 
顔認証システムで考えてみると、商業施設に

監視カメラがある。
警備員が巡回している。
店内放送で防犯を呼びかけている。
それだけ。

それを、不安症の人は

監視カメラがあって、私は顔認証システムに登録されている。
警備員が巡回して、私を見張っている。
店内放送で防犯を呼びかけていて、私を威嚇してくる。

と、太字の部分の解釈をつけてしまっています。不安症になる前は、こんな解釈をつけることはなかったでしょう。だとしたら、不安が現実でも妄想でも、この「解釈を変えること」や「解釈をつけないこと」が可能なのではないでしょうか…。

そうは言っても、猜疑心や恐怖心が強い時は、解釈を変えることは難しいですよね。昨日、禅問答のことを調べようとネットを検索していて、興味深い記事を見つけました。草薙 龍瞬(くさなぎ りゅうしゅん)さんという僧侶の方の書かれた記事で、「思考グセを止める方法」が役に立ちそうだと思いました。

思考を変えられない時は、言葉を変えてみる。
思考を止めたい時は、言葉を抜いてみる。


不安症になられてすぐで、精神的に辛い状態の方は、なるべく考えないようにすることをおすすめします。考えすぎて、全く関係ないことまで結びつけてしまうと余計に辛くなってしまうので…。

私の場合で言うと、最初のころは、店で笑われたり(全然違うことで笑っていたのかも)、映画館で隣に座られたり(単なる‟とならー”だったのかも)ということも結びつけたりしていました。

意外と人は何も考えていません。先日、地下鉄の女性専用車両に乗ったのですが、一人、男性が乗っていました。気づかずに乗ったのでしょう。教えるべきか、トランスジェンダーの方なら失礼かといろいろ悩みましたが、その男性も周りの女性も全員スマホを見ていて、誰一人気にしていませんでした。帰りも、同じことがありました。

鈍感力、大事ですね。






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