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小さな幸せと心地よいぬくもり-朝のバールで感じたこと-

今朝は、久しぶりにBAR(イタリアでbarというと、日本語で言う“カフェ”を指します。日本でbarというと、お酒を飲むところですけどね。イタリアのbarの中には、夕方以降お酒を気軽に飲める場所に変身するbarも多く見受けられます。昼から軽食を提供するbarもある。ちなみにイタリア語ではバーではなく、バールと発音。)に行き、イタリア人がよくやる朝食をとりました。
正直に言えば、本日2回目の朝食でしたが。
というのも、私は朝もある程度しっかりと食べる派なので、毎日パン(以前記事に書いた、自家製の全粒粉パン)かお米と簡単なおかずを朝食としてとっています。でなきゃ頭がそして身体がうまく働いてくれないのです。
一方でこちらイタリアでは、朝はエスプレッソコーヒーもしくはカプチーノと甘いもの(クロワッサン、ビスケットなどちょっとした小麦粉系のたべもの)を合わせて朝食とする人が多いようです。つまりは、朝食には時間をかけない、そしてしっかりと食べない人が多いのです。ま、日本も近年は似たような感じになってきましたけどね、特に学生や社会人はそうだと思います。

私はよっぽどのことがない限り、人並みよりは量がしっかりとしていて栄養に気を付けたものを食べるようにしています。先月、家でのいつもの私の朝食を抜かして(めんどうくさかったから、そう、時々めんどうになることもあります、当然ながら。)そとのbarに足を運び、カプチーノとクロワッサンを頼み朝食をしたところ、その午前中はずっと頭がくらくらしていました。これはまあ習慣というものですかね。両親にはこれについて感謝しなければいけません。

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さて、話を戻します。今日はきちんと腹ごしらえをしたうえでbarに行き久々にイタリア人の午前中を垣間見ることにしたのですが、いろんな感覚が私の中に生まれました。
一つは、いつもとは違うことをやる(今回の私の場合だと、朝にはあまりbarにはいかない私がbarでひと時を過ごす)ことは、私の頭に清々しい風を吹き込んでくれて、自分が無意識に作っている「私の日常」という枠の中にいる私の目を覚ましてくれる、という感覚。これは前回書いた記事に書いたことと似ていますね。
もう一つは、人の温かさやもてなしに触れる時間は、今の社会に生きる私たち(の心、心の健康、精神)にとって大切な瞬間で、私たち自身にとってそして社会にとって「肥料」みたいな存在だなと感じたこと。この文面だけ見ていると、私が人のぬくもりに飢えているだけに聞こえるかもしれませんが、このことって見逃してはいけない、そして過小評価してはいけない点だと思います。特にやらなければいけないことに追われ続ける日常において、そしてとくに今現在のCovidの状況下においてです。今回私がこの感覚を持ったのは、Covid下という状況が深く結びついているからだと思います。

私は幸いにも自分もしくは近い人が感染したり、医療に従事しているわけではありません。しかし、今なお頻繁に変わる感染状況、そして何より頻繁に、この年末年始時期には数日単位で変わる(政府による)規制に正直疲れている自分に気づき始めています。Covid関連の情報、特に政府が発表する規制(これはしてよくこれはしてはダメということが主な内容)については、倫理的にも自分のためにも(違反すると罰金を取られてしまうので)知っておかなければならないため、自分なりに取捨選択して情報を追っていますが、正直精神的健康にとっては良くはありません。想像している以上に、私たち自身に負担がかかっているのではとふと気づく今日この頃です。

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そんな状況下ですが、今朝私に起こったように、小さな幸せと心地よいぬくもりにふと気づきやすくなったな、とも同時に思っています。というよりこんな状況化だからこそ、と言ったほうが正解かもしれません。

なんだか息苦しく感じることが多い今日この頃ですが、小さな幸せや近くにある温かさの存在を忘れないように、そしてそれに感謝しながら、過ごしていきたいな、と思った今朝なのでした。

ではでは。


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