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あっという間の遠回り人生 1

気付けば四捨五入で還暦(笑)

50過ぎたら、ガタガタガタッと崩れていく…とは先輩方に聞いていて覚悟はしてたけど…。本当にガタガタガタッと、自分でもびっくりするほど、みるみるうちにあちこち衰えてきましたよ(笑)
数年前の写真見ると、
「あら~、(今より)若かったのね~💦」
と感じます。年々劣化のスピードも上がっている気がします。
そんないわゆる普通の56歳です😁(2023年12月現在w)

いい年したBBAが何故危ない橋を渡ってフリーランスの道を選んだのか。
何故デザイナーを目指し始めたのか、ざ~っとお話いたします。

学生~独身時代の自分

中学生まで夢見る夢子さん✨

……というほど可愛げがある女のコではありませんでしたが(笑)、それなりに色んな夢は持っていました。

小学5年の頃には、兄の影響で洋楽に夢中になっていました。
その頃、英語の勉強に苦しんでいた兄から、
「今から英語を勉強したら、ペラペラ話せるようになるぞ」
「高校には交換留学生の制度があるから、それで留学できるんだぞ」
「自分で(好きなアーティストに)サインください、って言えるの、かっこいいと思わんか?」
などとそそのかされて、すっかりその気になりました。(単純ッッ
大人用の基本英語の教材を買って、一時期必死になって勉強しました。
好きな英語の歌をキレイな発音で歌えるシンガーになる気でいました(爆)

また、小さい頃から漫画やイラストを描くのが好きで、小学生の頃は漫画家にも憧れていました。
元来、ものすごく単純でお調子者なのでしょう。
中学時代、美術や国語の先生から可愛がられ、将来、デザイン関係に進むか小説や脚本等の文章を書く仕事をするよう勧められて、またその気になっていました。

それで、自分は普通高校へ行って、留学をして、美術か芸術大学かデザイン関係の専門学校へ行くのだろうと信じて疑ってませんでした。

兄の帽子をふざけて被って撮った写真(高1)

母のマインドコントロール

中学2年の1学期の終業式前日、両親の離婚で、母と兄と私は同じ市内の母方の祖母の家へ引っ越しました。
父の度重なる多額な借金が主な原因での離婚だったので、母は慰謝料も養育費も請求しませんでした。私たちの実の父親が、せめて路頭に迷わないよう、との思いからでした。
兄と私は、「ドラマみたいな人生だよな?」と少々お気楽でしたが、母は女手一つで大変だったろうと思います。育ててくれたことには心から感謝しています。

でも、母と私は根本的に合わないのでしょう。
現在、私の実家で母と同居してますが、お互いなるべくぶつからないよう心掛けています。

幼い頃から、母の口癖は「アンタは兄ちゃんとは違う」で、私の言うことなど全否定でした。
ものすごく偏見が強く、口では「世の中には色んな職業の人がいないといけない」と言うくせに、職業でその人の価値を決めつけるところがあります。
例えば、デパートやスーパーの販売員より事務職が上、といった極端な馬鹿馬鹿しい考え方が、80歳を過ぎた現在でも抜けていません。

当時、普通高校へ進学したい、と言う私に対して、母の答えは、
「現役で国立大学に確実に入る絶対の自信があるなら普通高校行け!」
「短大とか行って、しょうもない幼稚園の先生やら就職もできん資格取るくらいなら商業高校へ行け!」
というものでした。
現在では、ハローワークの高給の求人票では、短大卒以上からしか受けられない会社がほとんどです。せめて短大でも卒業していたら、と思うことがこれまで何度もありました。

留学したいから英語の勉強をしたい、といったことを言うと、
「今から混沌とした世の中になる。外国なんか行ったら危ない。そんな時代じゃなくなる!」
と言って、英語の勉強をすることさえ否定されました。
その頃、大きなことを決めるのに、母には逆らえませんでした。

吹奏楽部定期演奏会パンフレット写真(高3)

家庭内での唯一の味方

そんな中、いつも味方になってくれていたのが3つ年上の兄でした。
高校受験の直前まで、
「お前は本当はどうしたい?」
と聞いてくれましたが、私はとうとう「普通科に行きたい」と言えませんでした。母の言うとおりに商業高校へ入ることにしたのです。
私が中学を卒業するのと同時に、兄は高校を卒業し、大阪のコンピュータスクールへ行ってしまいました。

兄は、2年間就学生として働きながらコンピュータスクールを首席で卒業し、システムエンジニアになりました。
そして、九州の職場に就職し、すぐにまた転勤で東京へ行ってしまいました。
その時、私は高校3年生でした。
商業高校で情報処理の勉強をしていたので、もっと勉強したいと思っていました。
英語の先生がその頃高価だったワープロをこっそり触らせてくださったことで、キーボードを打つ楽しさを知り、私もコンピュータ関係の学校へ進むことを考えました。

ところが、その時に母が言い放った台詞。
「アンタと兄ちゃんは違う。アンタは目が悪い(近眼だ)から、コンピュータなんかやったら失明する!」
――コンピュータを本格的に使い始めて四半世紀以上。私の眼はまだ失明していません(笑)
せめてその時だけでも、兄に電話で相談すれば良かったと思います。
(つづく)

兄の結婚式で 兄(26) 私(23)

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