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追懐・牛乳缶と夕映えと国鉄列車

先日、子どもの頃から見ていた母の故郷を題材にして、ショートエッセイポエムを書いた。


子どもの頃のあの田舎の風景が思い出されたこの機に、祖父のことも含めてもう少し残しておこうと思う。

母の故郷は北海道の最北端である稚内市の少し手前にある。

幾つの時までだったかはっきりとは覚えていないけれど、祖父がまだ病に倒れる前、酪農家だった頃。
私の普段の生活とは全く違う日常が、あの場所にはあった。牛はもちろんたくさんいて、牛乳を運ぶ馬が数頭と、犬が数匹と猫もたくさんいた。

祖父との思い出は正直あまりない。その中で印象に残っていることがある。牛乳を一緒に卸しに行ったこと。

牛乳缶って、わかるだろうか。それをリアカーのような荷車に乗せ馬が引く。その時の私にはアニメでしか見たことないものだった。イメージ的にはこんな感じ。

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牛乳缶はそのままだけれど、パトラッシュではなく馬が引いていて、荷車ももう少し大きくて前に人が乗ることができた。
荷車は下の画に近いだろうか。でも私は牛乳缶と一緒に後ろに乗ったから、ここまで大きくなかったとも思う。

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※どちらも世界名作劇場より。

あんな経験はもはや出来ない時代になった。本当に貴重な経験。
ガタゴトと舗装されていない道を、馬が引く荷車に牛乳缶とともに乗り、町まで揺られる。お尻が痛かったけれど乗せてもらえたのが嬉しくて、アニメの世界と一緒だ!と新鮮さが先に立って楽しくて仕方なかった。

あのとき卸しに行った町がどこだったのかはもう覚えていないけれど、独特の卸し市場の雰囲気を今でも思い出す。
祖父は、いくつかの買い物をするために寄り道したあと、帰り道に私は裸馬に乗せられた。あのときの馬の感触を覚えている。当然 滑り落ちそうになり、すぐに荷車に戻されたけれども、あれは、はしゃいだ私が乗りたいと祖父を困らせたのではなかったっけ。

そんなおぼろげな記憶。

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祖父はその後病に倒れ、継ぐ人はなく祖母は離農した。

酪農家の多かったその土地は、今では母の実家や叔母のように、すでに離農した人が多い。しかし、景色はそれほど変わっていない。
土地はそのまま残され家庭菜園やただの原っぱになり、古い家やサイロは立ったまま。人口は減る一方で、マンションが建つわけでもショッピングモールができるわけでもない。

祖母は離農したあと海岸近くにある平屋の町営住宅へと引っ越した。

「りっちゃん」と呼ぶ笑顔も、甘納豆入りのお赤飯も、蜆のお味噌汁も同じだけれど、囲炉裏で大きなお鍋に搾りたての牛乳を沸かして飲むことはなくなった。

ただ夏休みに私が母に連れられて帰る町は一緒で、国鉄時代はずっと列車での帰郷だった。
そう、あの徐々に切り離されていく一両編成の列車


以前より駅から近くなった住宅は、狭くて遊ぶ場所も動物もいなくなった。公園や海沿いにふらりと散歩に出かけて違う景色をぼーっと見ているのは私は好きだった。でも退屈そうに見えたのか、近くの鏡沼でシジミがとれると連れていってくれて、手がふやけるほどそこで遊んだこともある。(今は整備管理されお祭りの時しかとれません)
そこで遊びながら、利尻富士を染めて海に沈む夕陽を当たり前のように見ていた。なんて贅沢な時間だったのだろうと今は思う。

国鉄は民営化され、同時に廃線が決まりその駅はなくなった。
私は大人になり、たまの夏に車で行く程度になり、祖母が亡くなったあとは行くこともなくなってしまった。

今、無性に懐かしい。



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