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娘とバージンロードを歩いて

プランナーさんからの写真が届いたよ。と家族LINEにアルバムが4つ出来ていた。
ひとつにつき250枚以上あり、全部で1000枚を超えている。これ全部見れるかなと思いつつ、ひとつ目の「挙式前」とタイトルされたアルバムを開く。

初夏の日曜日、吉日快晴、長女の結婚式があった。
披露宴の様子は私自身も含め、友人たちからの写真も多量にあり、すでに共有していたけれど、教会内の挙式は写真NGだったため、カメラマンさんの写真オンリーなので初めて見るものばかり。一枚一枚スワイプしていく。

挙式当日、我が家はひとり親のため、母である私が娘とバージンロードを歩くことになっていた。
私は人の前に立つのが苦手なタイプである。高砂に座り人前に晒されるなんて考えるだけでも耐え難い、という少々ネガティブな理由で自分の結婚式は挙げなかった人間である。それなのにアラフィフになって初めてバージンロードを歩くことになろうとは。

まだ雪の残るころ、娘に「母、歩きたい?」と聞かれたときは「歩きたいかと言われれば歩きたくはない」と即答した。「だよね」と残念そうな娘の表情を見て、慌てて「でも可愛い娘が歩けと言うなら歩く!」と付け足したのだった。
内心では、バージンロードってあれだよね、教会の真ん中の道。両わきに家族や友人とか見ているやつ。うう、げんなり、と思っていた。
最初から新郎新婦で登場するとかいろんなスタイルがあるらしく、娘は「また相談するわ」とその場で答えを出さなかった。歩きたい、と喜び勇んで言うのが正解だったのか、とも思ったが私の性格を娘もよく知っている。喜び勇んだところですぐに「フリ」だと気づくだろう。
披露宴も形式張ったものにはしないと最初から言っていた。海外留学をし英語を使う仕事を選んだ娘らしく、テラスのあるレストランでバーベキューなどの立食パーティーみたいな披露宴にすると聞いていたから、挙式もまた違うものになるかもしれない。


結局出した答えは、今まで育ててくれた母と一緒に歩く、だった。
春先に私自身は、ちょうど家の住み替えによる不動産売買手続きのため、仕事の合間に何度も銀行や不動産業者との打合せがあり、引越し作業があり、コンペがあり、親の不調があり、相当疲弊していた。そのなかで結婚式に纏わる席順や招待状やドレスや数え切れない相談を娘からも毎晩のようにされていたので、結局「母と歩くことにした」と言われたときは、考えるチカラを失っており「はい分かりました」とふたつ返事で返した。
疲れていて、なるようになる、としか思えなくなっていた半面、母である私も、娘のことをよく知っている。きっと母と歩くという結果をだすだろうと心のどこかで予測もしていた。今度は残念そうな顔をさせるまい、と思っていたのも、ある。主役は娘だ。娘のステージが満足なものとなるように支えるだけ。親だし。娘が言うなら付き合うのみ。腹を括るしかない。

ただ、当日娘と歩きながらどんな気持ちになるんだろう、とぼんやり考えていた。
子育ても、後半はかなり力が抜けていたとはいえ、ひとりで頑張ってきたのだし。走馬灯のようにあんなことこんなことが思い出されて感情が溢れだしてしまうのでは、と思ったりもした。何と言っても涙もろさにだけは誰にも負けない自信がある。おいおい泣いてしまったら娘に申し訳ないな、とアレコレ考えるだけで泣けてしまうほどなのだった。

残念ながら、結論から言うと、どんな気持ちにもならなかった。笑えるほどに冷静で感傷的な感情というものは棚上げ、存在していなかった。
泣く暇なんてなかったし、そして不思議なほどに緊張もしなかった。
扉が開く手前で待つ間も、歩く練習のときも、緊張してますか、とスタッフさんに何度か声をかけられたけれど、期待を裏切り笑顔で返した。あの凪はなんだろう。
歩き始めるとき、娘の手をとり歩いている間、考えていたことは、ゆっくり歩く、ドレスを踏まない、少し前、やや斜め、など歩く注意事項だった。まあ、ドジらないようにきちんと歩こう、といったところ。
我が家の長女は、繊細な内面とは裏腹に人前ではかなり明るくオーバーリアクションのキャラである。扉が開く前は緊張すると言っていたが、歩きはじめると「階段ゆっくりー」とか、ちょっと歩幅が合わないと「あはは、待って待って」とか話していた。ふたりとも「歩く」という動作だけに集中していて、そのせいか逆に余裕が生まれ、厳かというよりはへらへら笑いながら歩いていた。いわゆる楽しいってやつだ。

隣を歩く娘の成長をかみしめながら、感慨深くなるなんてことは全くなくて。
扉が開いた瞬間、バージンロードの向こうに娘の夫となる人が待っていて一瞬遠く感じたけれど、歩き始めると短すぎるほどのあっという間の時間だった。走馬灯のように今までを思い起こす時間などなく、歩いているときは歩くことに無我夢中。まるで子育て中と一緒。考えるよりもその場をこなすことで精いっぱい、それでもそれなり楽しかったあの頃と。
娘は、私の手からそっと手を離し、夫となる人の手へ自分の手を重ねる。あっけないなとちょっと思った。もう少し歩きたいな、と。数か月前は「歩きたくない」と即答したくせに。

式も終わりに近づき退場のために新郎新婦がこちらを振り返った時だ。厳かな雰囲気の中、娘はやはり笑っていた。にっこりと笑った娘が、幼い時の娘と重なった。ふたりが壇上から降りて新郎側のご家族へ、次に私の目の前に来て一礼する。なぜかそこで涙が滲んだ。

披露宴でも親の出番はほとんどないから安心して、と言われていたが最後にサプライズがありまた目が潤む。親の心子知らずなんて言うけれど、その時々の岐路で私が伝えたかった想いが、ちゃんと娘には伝わっていたと感じられたから。ただ、涙腺の弱さで自信のある私にしては泣かなかったほうだと思う。感極まるというよりも楽しさが上回っていたのかもしれない。
いい式だったな、と心から思った。娘は、自分が一番楽しんでいたと言っていたけれども、母も十分に楽しく満たされた時間だった。こんな経験をさせてくれてありがとう。孝行娘だなと、この娘を産んで良かったなと、心から思える時間だった。

そして今、送られてきた大量の写真を見ながら、感情が溢れだしている。
娘の祖母にあたる私の母が、バージンロードを歩くふたりを見て「りえ、こんなに立派な大人になって」と花嫁ではなく私に言ったのには親族皆が笑ってしまったけれど、実際どんな風に歩いていたのか当事者はわからない。一枚一枚、こんなふうに歩いていたんだ、と小さな画面を覗き込む。時に拡大したりして。
ふたりで笑顔で歩いてる写真もある。やっぱり緊張感なく笑ってたよねー、と眺める。花嫁である娘はとても美しい表情をしていた。
私の手から新郎の手へ。そして二人で歩く後ろ姿。ブーケを持つ娘。友人に囲まれている娘。すべて幸せそうな顔をしている。感極まって今さら涙である。温かい涙が次々零れる。今かよって自分に突っ込みを入れる。
ひとりで気を張り詰めていた時期や、娘と泣いたこと、ケンカしたこと、あんなことこんなことがまさに走馬灯である。毎日毎日大きなことも些細なことも、すべてがあって今がある。
画面の中の幸せそうな娘の顔。間違いなく私にとっても娘にとっても最高の一日だった。
そして娘にとってはこれから毎日、最高を更新していってほしいと、1000回以上のスワイプをしつつ今、心から願っている。


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