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マイカー思慮変遷

どうして車に対する全てに腰が重いのだろう。
車検の期限が頭の片隅にずっとあって、気にしつつも先伸ばしにし、限界のところで ようやく予約の電話を入れた。
タイヤ交換も毎度後手に回るし、洗車やガソリンを入れるのすら億劫なのである。家から数分の場所にあるのにも関わらず。

20代、私は長くペーパードライバーだったので、子どもがいても車を持つことはないだろうと思っていた。
しかし、乗り物酔いをする子どもがいると、公共の交通機関(特にバス)よりは自己都合で停車できるマイカーは便利。
遠出ならばレンタカーでもよいのだろうが、頻繁に病院通いをしていたので、車の購入後はその点でも格段に楽になった。

私が免許を取ったのは看護学校1年生、18歳の夏。それまで貯めてきた貯金とバイト代をつぎ込んで。
お金が余っていたわけでもないのに、何故そんなに急いで取ったのだろう。今となっては疑問である。
いずれにしても、早々に免許を取ったものの、貧乏寮生活の私。車なんぞに乗る機会はなく、はれてペーパードライバーとなったのだった。


しばらく乗らないと運転するのが怖くなるものだ。
ペーパーのまま10年余りを過ごし、もう一生車を持たないだろうと思い始めた矢先、人生いろいろあるもので、30を過ぎたころ私は車を初購入した。

車を買うのは初めての私。
何が何だかさっぱりわからない。

とりあえずは「小回りがきいて可愛いの」。

そんな私を心配して、親がついてきた。
三十路過ぎの娘に。
親の意見は
「すぐにぶつけて駄目にするから(←断定)まず中古で!でも、ぶつけるとぺちゃんこになるから、軽は駄目」等々。
あれやこれやと口を出す親の言うことをも聞きながら、これがいいかなと選んでみると、今度は値段で意見する。
「すぐにぶつけて駄目になるから(全く信用なし)80万でも高い!もったいない」と。えーと、確かお金出すのは私なのだが。

そして、ようやく折り合いがついたのが、この車だった。

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紅葉とともに映っているところがいい。関係ないけれど。

「マツダのレビュー」
1998に生産中止になっているこの車。
もう見かけることはない。

当時、中古で42万だった(笑)

しかし親の意に反して、私は事故どころか壁などにこすることもなく、その後5年この車に乗った。我ながらコスパよし。

まだ娘が小さかったので、毎週末北海道内を旅する相棒となったレビュー。
5年も乗ると愛着がわいてしまって、一生乗り続けたいと思うほどだった。車内もちょっぴり可愛いグッズで揃えたりした。が、四駆ではなかったので、北海道の冬道は滑りまくって恐怖を感じるほどで、更に古い車は年々修理代がかさむようになり、泣く泣く手放すことにした。

🚗

一生乗らないと思っていた車を運転するようになったのは、仕事のためだった。

娘が幼い頃、時間の融通がきくという理由だけで選んだ近くの病院。
外来だと聞いていたのに、行ってみると配属先は訪問看護室だった。面接の時、運転は出来ないと言ったのに。
「少しづつでいいから」と言われ、しぶしぶ承諾。というか承諾しないことには働けないわけで。採用後だし。


さて、運転初日。
助手席には運転指導ということで総務の30後半男性Mさんが座ってくださった。
「よろしく~」と軽いノリのMさん。
緊張の面持ちで運転席に座る私。
アクセルとブレーキの区別もつかずにオロオロしている私をみて、Mさんの顔も、みるみる間に青白くなっていく。

どこか車の少ない場所で練習して…とかが、少しずつ、ではないだろうか。

なのに、アクセルがどちらかも失念している私がハンドルを握ったまま、いきなり目の前の交通量の多い国道へ出ることになるなんて。
よほど人材不足だったのだろう、と今は思う。

Mさん冷静に「車線、右へ移って下さい」。
私、慌てながら「え~どうやって?」。
運転中のセリフとは思えないけれどホントの話。
Mさんが「後ろ確認してウィンカーをだして」と言うそばからコントのように、ワイパーをビュンビュン動かしたり、ライトをつけたり。
恐ろしいことだが、当事者は無我夢中。決して冗談ではなく真剣なのだ。

「ウィンカーはどこですかっ!」と叫びながらも、なんとか右の車線変更を終えた頃、Mさんは苦笑交じりで言った。
「右折しますよ。俺まだ死にたくないので、合図したら行ってください」
「は、はいっ。お願いしますっ」

駐車場へ入れるときは当然頭から斜めに突っ込み、出るときは誘導してくれるMさんを轢きそうになり、パニック状態のまま、それでも3件の訪問をしてなんとか運転1日目終了。運転が強烈過ぎて、肝心の訪問内容を正直何も覚えていない。

運転2日目。
私の助手席には人は乗らなかった。
師長が「Mさんから、運転はもう大丈夫だと思うって言われたから」と、地図を渡された。当時はカーナビはついていなかったので。
それは違う、もう乗りたくないからだよ、と思ったけれど同乗させるのも申し訳なく強攻するしかない。

運転もままならないうえに、訪問宅への道もうろ覚えの中、運転2日目からひとり放浪の旅。

事故を起こすこともなく我ながらよく生きていたなぁと思うけれど、そのスパルタのおかげで?数ヶ月もしたら運転はお手のもの、裏道わき道にもすっかり詳しくなり、タクシー運転手に転職できるのではと思うほどになった。いや、ただの安易な妄想だけども。

かくして、ペーパードライバーを脱し、車の運転技術が上がった私は、娘のためにも自分のためにも、はれてマイカー初購入!への道へと進む。

🚗

今のマイカーは3台目だ。2台目からは誰にも意見を言われることなく新車購入。

2台目は日本中に溢れている車に乗った。色も白だったし。詳しく言えば少しはこだわってパールホワイトなのだけれど。

5年も乗ったレビューが、本当に大好きで、こだわりを持って、最初はいろいろとディーラーをまわった。
レビューの時のようなスタイル重視がいけなかったのか、なかなかしっくりくるのが無い。
全然決められなくて、まわりまわっていい加減どうでもよくなって、車選びに疲れた果てた頃、小回りがきいて燃費がいい、という理由だけで、2台目を購入。

小回りがきいて可愛いの、
から、
小回りがきいて燃費がいい、
にいつの間にか……。

案の定、それまでのボロ車に比べたら、燃費は素晴らしかった。冬も乗りやすかった。なので、レビューよりうんとうんと長く乗った。
にもかかわらず、いまいち愛着は沸かなかった。
車は旅の相棒から成長した娘への送迎へと役割を変え、いつまで経っても車内は購入時のままで小物すら増えなかった。そのうち、車は走ればいい、と思うようになっていく。

3台目。
走ればいい、と思いつつ、新しく選ぶ段階になると、やはり「小回りがきいて可愛いの」と思っている私がいた。40後半になっても変わってないなぁ、と思いつつ、今回こだわったのは色。

昨今車体カラーが随分増えて、街中を走る車で「おっ!これ好き」という色があったので、ディーラー巡りで疲れないようにネットである程度の情報を得、ターゲットを絞ってディーラーへ行き、交渉も最小限で終わらせた。

うん、この色なかなか善き。
我ながらよい買い物が出来たと満足して、中はどんな風にしようかな、シートカバーや小物も可愛く揃えたいな、と初心に戻りワクワクする。
けれどこだわりはじめると買い物が進まない私。逆にこだわりすぎて、案の定すぐに気に入ったものもなく、結局その後放置し、あっという間に数年が過ぎ去る。
その間、腰痛防止用のクッションを購入したくらいで、他に揃えたものはなく、今は転職し車通勤もしなくなった。

マイカーが近隣の買い物に使う程度のものとなった今、ワクワク感は激減している。最近、そんな自分に言い訳すように また思っている。
車は走ればいい。
こうして私と車の距離は離れていく。

※ ※ ※

いや、
離れたくない。
今、文字にして視覚化すると、抗いたくなる気持ちが沸き上がってきた。だから思い出したように、可愛い車内小物やシートカバーを今更ネットで探してみたりしている。お気に入りで揃えたら もう少し車に愛着がわくかもしれないから。


🚗

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