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『私的気まま子育て帖』Parenting note

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夢中だった日々を ゆるめに振り返りつつ 気ままに綴る 子育てあれこれ
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#育児

『Dear Girl』

いつからか 大人びて笑うことを覚えて いつからか 涙を隠すようになっていく 差しのべた手を 嫌がって ひとり遠くを 歩き出す 迷う小さな その背中 心配ばかりが 募る日々 頬を通る 朝の風 大きく広げて 君の羽 今はここで 見守ろう 誰より強い 眼差しで いつの日か 心に芽生えた希望の種 いつの日か 小さな蕾が開いてく すぐに抱っこをせがんでた 幼いままの 無邪気な瞳 いつも優しさ携えて 笑顔で歩いていてほしい 心を潤す 春の雨 優しく包んで 君の夢 今はここで 信

次女と絵本制作~卒業によせて~

講堂に集う卒業式は中止になった。 三月某日、娘は教室で卒業証書を受け取り、通っていたデザイン学校を無事に卒業したと連絡がきた。 その数週間ほど前、広い校舎を利用して、卒業制作展が数日間にわたり開催されていた。 青空なのに雪がちらちら舞う中、展示会場となる学校の最寄り駅で娘と待ち合わせる。 大学卒業後に社会人で入学したので、もう親の出る幕じゃないなと入学式には出席もしていないし、去年は外出していないので展示会などを含め学校へ来たことがなかった。日差しで溶けかけの、ぬかるんだ

長女と吹奏楽のこと

娘の部屋から、トロンボーン四重奏団のCDが流れている。高校生の時に演奏会に行って、その会場で購入したものだ。 自らオタクと称し、ここ数年は推しの音楽ばかりを聴いていたのに珍しいな、そして懐かしいなと耳を澄ませる。 ♪ 小学校に入ってすぐに「アレやりたい!」と言ったもの。それがブラスバンドだった。4月の入学式、生徒が入場行進する傍らで演奏していた姿が強烈に印象に残ったようだ。5月の運動会の入場行進も娘はよそ見をしていて、傍らのブラスバンドの演奏に目が引きつけられているようだ

えんぴつのたろう

たろうって、いつの時代設定なん? 自分で自分をツッコんでいる。 先日 帰省して、断捨離のため部屋の中をひっくり返していた長女の話。 「ちょっと面白そうなの出てきた」と持ってきたのは原稿用紙を束ねた冊子。 片付けていたクローゼットの奥深くから掘り出してきたらしい。 表紙には 『えんぴつのたろう』とある。 そして、顔のついた鉛筆の絵。 小学生のときに書いた物語のようだ。 長女はリビングのソファーに腰掛け、読み聞かせを始める。なんだかワクワクする。 えんぴつの「たろう」は、

見ているもの見えていますか?

ピューロランドで娘を見失ったことがある。 乳幼児3人(1人は抱っこの赤ちゃんなので歩くのは2人)と大人5人。 にもかかわらず、ひとり行方不明。 大人もテンション上がっている間に、娘がひとり消えていた。まあ大事にはならずに発見されたけれど。 そして帰宅後だ。キティちゃんを撮っているそのビデオの中に、娘がひとりで遥か遠く階段を駆け上がっていく姿がはっきりと映っていたのである。 そして、娘を探して名前を呼ぶ私の声も。撮影者は元夫だ。 探している時に、呑気にキティちゃんなんぞ撮って

通称、おねえちゃん

いずれ引越し先に持参できるよう、娘たちが幼いころのDVDを、整理しながら見直していたときのこと。 じっくり見たことなかったなぁ、と言いながら見ていた長女がふと、 「ちゃんと、姉、してたんだ」とつぶやいた。 「姉なんて自覚なく育てられたのにね」と。 ※ 私の姉が中高生の頃、とびっきり派手な反抗期を迎えていた。飛び火が降りかからないように気をつけて過ごしていたある日。姉が、親に叱られて言い放った言葉を今も覚えている。 「お姉ちゃん、お姉ちゃんって、あんた(父母)のお姉ちゃん

友チョコ作りしてますか

希望してもいないのに、バレンタインデーにお休みです(笑) 私自身、チョコレートを渡して告白した、というような甘い思い出はない。チョコレートを手作りしたこともない。素っ気なく味気ない女子だった。 トップ画のチョコは頂き物。 既に私のお腹の中へ投入されている。 そんな私がバレンタインデーにチョコレート菓子を作らざるを得なくなったのは、娘たちの友チョコのためだった。 娘ふたりが学生の頃、バレンタインデーの前日は、決まっててんやわんやだった。 友チョコという言葉はいつからあるの

あの年『サクラサク』が こなかったから

下の娘が義務教育を終えた春。 ずっしりと重い期間を過ごした。 春には ようやく少し手がかからなくなるね、気持ちが楽になるよ、なんて周りに言われていたのに。 娘に、第一志望校からの合格通知は来なかった。 当初は余裕のあると思われた志望校。 北海道では、上位校の一部に裁量問題なるものが導入された年だった。初めてのことで、どんな問題が出題されるのか分からず手探りの受験。とはいえ条件は皆一緒。 しかしメンタル面で心配の残る娘は、受験が近づくにつれ緊張感が増し力を発揮できず、模試で

私がサンタだった日のこと

「恋人がサンタクロース」という歌があるくらいなので、彼がサンタなんてこともあるのだろう。 1980年に発売され、小学生から中学生の頃に何度もすりこまれ聞いた曲。 サンタは偶像だと知り、クリスマスが楽しいのは子どもだけだね。 子どものくせにそう思っていた私に、ささやかな夢を運んできてくれた曲だった。いつか私も"隣のお洒落なお姉さん"になるんだと思いながら。 にもかかわらず、私はかなりとんがってひねくれた乙女に成長した。プレゼントとかクリスマスとか「なにそれ」的な冷めた目で見て

放送局員の怪

見つけてしまった。 今日。 ショッピングモールのちょっといい感じのソファっぽいベンチで。 そんなところで?と若干驚きつつも耳ダンボ。 制服を着た女子高生ふたり。聞き取りやすくハリのある大きな声で。 あらいりうるえれおろ…(多分こんな感じ 拙者親方と申すは…(?)なんたらかんたら… あーーはいはい。聞き覚えがあるある。 🎤 娘が女子高生だった頃、お友達が家に遊びに来たときと同じ光景。 部屋からは楽し気に談笑する声。 と、いきなり、大きくはっきりと聞きとれる声が聞こえ

巨大なポスター貼りますか?

我が家はリビングから各々の部屋へ繋がっている。 玄関から真っすぐ自室へ、というルートを作りたくなくて選んだ住処である。 そして、個室のドアは基本閉めない。 自称・開放型住空間 (笑) 我が家は、娘が小学生低学年の時に引越しをして、それを機に、それぞれに個室を与えてしまったので、その頃まだ子離れできてない私が、個室のドアは閉めない、と取り決めをした。 よく言う「何をしてるか分からない」とか、そういう理由も含まれるけれど、個室を与えてしまったらきっとそこが各々の居場所になるか

断捨離魔の哀しみ

娘の高校の三者面談で言われた言葉に衝撃が走ったことがある。 「英語の文法が弱い」 ではなくて、 それに続いた担任の言葉。 「中学時代の問題集があれば、そこからひととおりやってみては」 なんですって? ……。 もちろんありません。 断捨離魔の私。物持ちの悪い私。 こんなところで墓穴を掘ることになるとは。 娘が小学生の頃はこんなにすぐ処分することはなかった。 毎年どのくらいの期間保存しておけばいいのだろうと悩み、次第に前の学年のものを使うことはないと学習し、それを繰

トンボとの遭遇場所って意外と大事

トンボに限らず我が家にとっては、虫全般に言えることかもしれない。 赤トンボの写真を撮りながら 我が家のトンボ事件を思い出していた。 娘が高校生の頃のこと。 以下、当時のブログより抜粋 🍁 静かな秋の夜。 ぎゃ~~~という突然のおたけび(とても悲鳴とは言えぬ声) 長女のこんな声には慣れたもので また飲み物でもこぼしたかな、なんて思いながら立ち上がると 先に部屋から慌てふためき飛び出してきた。 「トンボがいる!!」と。 ええっ~トンボが?何故に? 私、外で飛んで

偉大なるパンダさん

娘がキーホルダーやストラップのついた10センチくらいの小さなぬいぐるみを処分した。 綺麗なものはもらっていただいて、その以外は今までありがとうと感謝してさようなら。 その娘がもういらないかな、と出してきた中にあった少し大きめ、大人の手のひらサイズのパンダさん。 うわーっと思い出がよみがえり、私は捨てられずにコルクボードにかけた。 キミはムリ。しばらく眺めよう。 まだ娘が就学前のこと。 おばあちゃん家までひとりで行かなければならなかったある日、これをお守りがわりにして送り