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『私的気まま帖』essay note

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「非凡でなくてもいい、きみとなら何かが話せそうさ」がモットー 気ままに思いつくまま
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#エッセイ

私の中の「書く」。そして今サイトを断捨離してnoteを残す。

少しずつプロフィールに載せていることを書いていこうと思っている。 (プロフィール欄に詳細あります) 今回は「書く」 ※  ※  ※ 小学4.5年の時に日記をつけ始めた。親から日記帳と書かれた単行本のような分厚いノートをもらったのがきっかけだ。 それにその日の出来事を普通に書いていた。 ただ、普通に。 でもそれが、毎日何か書く、という習慣をつけたことは確かだと思う。 中学生になり日記はやめてしまったけれど、代わりに詩を書くようになっていた。 まだそんな長い文章は書けなく

私の中の「食」

予想はしていた。 ひとりになったら1番おろそかになるのは「食」だと。 料理が好きではない。でも苦手ではない。 作ればそれなりのものが出来上がり、意外にも美味しいとの評価も得られる。 ただ私にとって、おっくうな作業であることのひとつ。それを毎日繰り返すことはけっこうしんどい。 娘が成長した今は、手を抜くことばかり考えている。 もともと食に対する興味が薄い。 美味しそうなものをみても、食べたい、行きたいとは思わないことが多い。 人とのギャップを感じる瞬間。 昼休みや仕事帰り

闇夜に浮かぶ雪花のような

人はどれだけのこころを隠して生活しているのだろう。 あの日、そんなことを考えながら、ネットで紅茶を検索していた。四年前に私自身が前職場を退職したときに頂いた紅茶と同じものを。 ティーバッグが入っている小袋の中に、一緒に乾燥した輪切りのレモンが入っていて、カップにそれらを入れてお湯を注げば本格的なレモンティーが出来上がる紅茶。初めて見たときに感動し、淹れて美味しくてまた感動した。退職後に私は、それを選んでくれた後輩と一緒に過ごした時間や会話、そしてセンスの良さを思い出したり

うたたねする娘のちから

細かな雪が 音もなく降っている 正直 今年はもう見たくない それでも雪は 外の気配に静けさを纏わせながら ぺたりと冬を置いていく 夜の帳。静かだな、と唐突に気付いてキーボードを打つ手を止めた。 雪だけのせいではない気配が漂い、夜を包んでいる。 冬の二重奏とも言える加湿器の音とストーブの低いノイズが、いつも以上に室内に響きわたり、妙に平和な静けさが室内に満ちていた。 なんだろう。 隣の部屋にいた私は、リビングの様子を伺いに立ちあがる。 テレビはいつの間にか消えていて、ソフ

神無月、ある日ある街で。

親の所用で休みをいただいた。もろもろの手続きのために街から街へと移動する一日。 早朝に郊外へ向かって運転をしていると、隣町に入ったころから尋常ではない濃霧が辺りを包んでいた。視界不良で緊張感が高まる。ハンドルを握っている手に気付くと余計な力が入っていて、その度に必要以上に握りしめてしまっている手の緊張を解く。何度か同じことを繰り返して、ふと客観的になり可笑しくなる。時間に余裕のない自分と重なり、思わず「リラックス」とつぶやいていた。 徐々に霧が晴れてくる。地上から水蒸気が

はまっていたカントリードール作り

先週のnoteで、引き出しに収納したものに多量の布地と裁縫用品、と書いた。 「たまに、ミシン」でもちらりと触れているが、娘たちが小さい頃にミシンにはまっていた。 娘の洋服需要が減りつつある毎日ミシン後半時期に、ちまちまとドール作りをしていた時期が重なっている。 きっかけは母だった。 私と同じようにインテリア好きな母。 当時「私のカントリー」(主婦の友社) というインテリア雑誌を購読していた母が、そこに映っていたカントリードールにくぎづけになったのだ。 家にあそびに行く

聴きたい音しか聞こえない~居酒屋にて~

同僚二人と居酒屋に入り、席についてすぐに聞こえてきたのが、千里さんの「十人十色」だったのだ。 大江千里さんファンの私はテンションが上がりまくる。当然CDだって持っているのだからいつでも聴ける曲なのに、もう耳がそっちへ集中してしまって、同僚の話が聞こえない失礼なヤツに変身。 メニューを見ている同僚二人に「とりあえずビール」と合言葉のようなひと言をつぶやいて、数分間は音楽に神経を集中させる。 聴きたければ家で好きなだけ聴くことが出来るというのに、いったい何なのだろう。滅多に外

美味しいゴハンの立役者

この度、炊飯器を購入した。 買い換えを考えてから早いもので数か月経っただろうか。炊けてはいるのだけれど、ふっくら感がなく美味しく炊けない。 買い替えを考えたときに、私は炊飯器を購入したことがないことに気付いた。 初代炊飯器は一人暮らしを始めたときで、姉のお下がりだった。そのまま結婚後も使用し、2代目炊飯器は母から譲り受けた。 姉は一人暮らしを始めた半年後に東京の家具家電付の社員寮に入ったので不要になったもの。 母は、購入して数年後に、炊けなくなったと思い新しいものを購入し

防災グッズと意識の再確認

本日、防災の日。 防災グッズの見直しをしようと思う。 電池やカイロの期限など。 もうすぐ胆振東部地震から1年経つ。胆振地方に住んでいたことがある私は、震度4位の地震が起こる地域だったので、その頃に防災リュックを準備した。 その名残りで札幌に戻ってきてからも我が家にはなんちゃって防災リュックが存在していた。すぐに持って避難する、という前提のリュックだったので、軍手、小銭、電池、小型の懐中電灯など。 入っていた食品は飴一袋。 電池もそこから使って補充していなかった。 ※

ビアトリクス・ポター

名前だけ見たら誰?って思う人のほうが多いのだろうか。 ※上の画像はWikipediaより こちらは見たことがあると思う。 ピーターラビット。 「ビアトリクス・ポターの世界」ときちんと名前が刻まれているので意外とみんな知っているのかもしれない? 私がこのウサギと、出会ったのは中学に入るときにもらったハンカチ。 小さな頃から、うさぎ好きだった私は、もれることなくこのリアルウサギの虜となった。 その作者であるビアトリクス・ポター。 絵本を読んでいたので、もちろん名前は知っ

初バイトのこと

昨日の昼休みに子どものバイト話で盛り上がったので、今日は私の初バイト話を。 ※ 高校も看学もバイト禁止だったせいもあると思うけれど、私自身はあまりアルバイト経験がない。 高校生のときにひとつだけ。看学時代に3つほど。 ①夏休みだけ お土産屋さん ②姉の会社でデータ入力(繁忙期のみ) ③冬季の毎週土日 スキー場のペンション 全部短期。 なのですべて合わせても半年にも満たないかもしれない。 そんな微々たる経験しかない。    初バイトは高校生のときにやった「生協の棚卸し」だ

追懐・牛乳缶と夕映えと国鉄列車

先日、子どもの頃から見ていた母の故郷を題材にして、ショートエッセイとポエムを書いた。 子どもの頃のあの田舎の風景が思い出されたこの機に、祖父のことも含めてもう少し残しておこうと思う。 母の故郷は北海道の最北端である稚内市の少し手前にある。 幾つの時までだったかはっきりとは覚えていないけれど、祖父がまだ病に倒れる前、酪農家だった頃。 私の普段の生活とは全く違う日常が、あの場所にはあった。牛はもちろんたくさんいて、牛乳を運ぶ馬が数頭と、犬が数匹と猫もたくさんいた。 祖父と

冬の朝活時間

年とともに早起き体質になったように思う。 朝は5時から6時の間には目が覚める。 夜がどんなに遅くとも。 例えば10時に寝落ちしても、日付をまたいで呑んで遅くなっても、 朝は決まった時間に目覚めるのだ。睡眠時間とは関係なしに。 稀に目覚ましがなるまで寝ていることもあるけれど、 秒速で止める。 一瞬で目覚める。 私は血圧100前後なのだが大変寝起きがいい。 なので寝坊はしない人だと自分で信じている。 目覚まし時計なんて不要だけれど、一応かけて寝る。時間は6時20分。 8

リュック派

普段使いの鞄が買い替え時だ。 私はリュック愛用者である。 やや小ぶりのものと、通勤にも使える中くらいのものを使っている。 普段使いをリュックにするようになってから四半世紀は経つ。 幼い娘ふたりを連れて歩くと、手を繋いだり抱っこしたりとどうしても両手がふさがることが多くなり、出産後、必然的にリュックを選ぶようになった。 あまりに長らく愛用しているので、新しく買い替えるときにも、リュックにしか目がいかない。娘はすでに成人し、もはや誰も手を繋いでもくれなければ、抱っこをせがまれ