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音楽との出会い

こんにちは。

ほわっとして元気になる、温泉系打楽器奏者の岩崎りえ(りへい)です。

(キャッチフレーズ試用運転中)

気軽にりへいちゃんとお呼びくださいの介。

祝日残念なお天気ですけど、おうちでのほほんもいいものです。

私はやりたいことをやりまくってます!!しゃきーん⭐︎

というわけで、ひとまず毎週木曜更新にしてみるよ!


「りへいと音楽の出会い」

さかのぼることうん10年。

りへいの実家は商人でした。知る人ぞ知る某コンビニ。

音楽とはまーったく関係ない家庭に生まれたのですが

祖父も父も大の音楽好き。特に演歌ね。

なので割と音楽には囲まれて過ごしていた気がします。

歌うことは本当に大好きだったようで(今はネタで歌うくらい)

当時の写真とか見るとニコニコしながら歌っている姿がありました。

何故かレッスンに通ってもいないのに将来の夢は

「ぴあののせんせい」

だった(卒園アルバムより)


その、ぴあののせんせいになるべくレッスンに通い始めたのは人より遅めの小学校二年生。今も交流のある幼なじみ(娘をレッスン中!)の紹介で近くの先生のところに通い始めた。

優しい先生だった。なんだかんだで高校卒業までお世話になったなあ。

先生その節はありがとうございました。

その後ピアノと並行してエレクトーンも始めてみたりしながら、音楽ってたーのしーーなんてのほほんと過ごしてきたけれど、職業にしようなんてのは小学校に入ってからは思わなくなった。

中学校で吹奏楽部に入る。

本当はバレエで培った柔軟性を生かして体操部に入りたかったけど

廃部になってた・・・

吹奏楽の花形はやっぱりお嬢様の香りがするフルートね!と思ったけど、オーディションに落ちて、仕方なく仲良しの友人がいたパーカッションに。

仕方なくかい!!はい、その通りです。

でもなんだかんだで打楽器の楽しさがわかって、めちゃくちゃ楽しい部活ライフだった。

厳しい顧問の先生でいろいろもめたりもしたけど、それでも楽しかった。


引退前に先生に「岩崎さんは才能があると思うから音楽科のある高校へ進学したら?(意訳)」

(えっ!マジ?私才能あるん??じゃあ音楽家になるわ!)

というクソ素直で単純なきっかけから今があるわけですよ。

思い返すとドラマチックもなにもないきっかけですな・・・・・

某強豪高校で頑張った3年間。中途退部しちゃったけどとてつもなく鍛えられたという実感があります。感謝です。

そして頑張って勉強して練習して音大入って卒業してプロになりました。(雑)

・・・この辺掘り下げると大変なのでまたの機会にね。

ではまたー!

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