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金髪茶髪は良くて、白髪はダメ?? 意味ふの新庄ファイターズ。始まってもいないのに、終わったような気持ちで始められない。ファイターズよ。本当に、これでいいのかい?


下にリンクした記事は、スポニチですが、今朝の北海道新聞にも同じ内容の記事が出ていた。「新庄式 新常識」だって。腹が立って腹が立って仕方がない。

わたしは、激しい誤解をしていたらしい。新庄剛志は、「自由奔放な生き方」をするのが好きな人間なのだと思っていた。そして、自分が自由にしたいのだから、他人の自由も認める人間なのだろうと。

だけど蓋を開けてみたら、今のところ新庄新監督の繰り出す言葉は、他人である選手やコーチに対して、強制する言葉ばかりである。それが野球に関することならば、わたしも別にここまで固執する必要もないのだが、そうではなくて「見た目」や「格好よさ」といった「個人の自由」の範疇にばかり、新庄流とやらが発動されている。

よりにもよってコーチ陣に「白髪を染めろ」とは、いったいなんなんだ? 白髪は「かっこ悪い」のか? 飯山裕志コーチのロマンスグレーをなんと心得る。あんなに素敵なヘアもお顔もないぞ!わたしたちからゆうじさんのロマンスグレーを奪わないで!断固抗議する!シュプレヒコール!

#白髪を染めさせるな〜!

と叫びたい気持ちが、新庄(もう呼び捨てじゃ)にわかるのか?

もちろんゆうじさんは、髪を染めたってかっこいいに決まっているが、それを受け入れるのは、あくまでも本人の気持ちによる。黒や茶髪になって「新庄に言われたからやったんだな」と多くの野球ファンに思われるなんて、甚だ心外である。

新庄さんの言ってることは、自由でもなんでもないし、新しくもなんともない。むしろ古い。わたしは良く知ってる。80年代から90年代、30年前の考え方だ。見た目が全てで正義とする風潮があった。

今は「ルッキズム」という言葉になって相対化され批判もされてきた「見た目至上主義」。ちゃんとした論評も運動もある。

「やっぱ見た目が全て」から「そうは言っても見た目が全てでもないよねー」に変わってきているのが2021年の現在なのだ。

白髪が、グレーヘアーとぼやかされて流行してきたのも、その流れの一つで白髪を「老い」の醜さや象徴としてマイナスに捉えない、自然の姿を逆にー美しく捉え直すーことだったはず。

14年間、バリ島にいた新庄さんは、日本の世の中の流れを「全然知らない」と自ら言っていたので、きっと「グレーヘア」のことも知らないのだろうが、とにかく、どうであろうが、彼の言ってることは、古い。しかも強制という意味で、ドラゴンズの立浪監督の「短髪、黒髪、髭禁止」と何も変わらない、同じであることが、立証されてしまっている。

でも「古い」と自覚し、そのとおりにメディアも伝える立浪くんの方がずっと何倍もましである。誤解されないもん。新庄さんのはメディアを含んで世間もファンも騙しているようなもんだから。「新しい!」「何をするかわからない自由奔放」だって。プロ野球を変えてくれるって…😢

精神衛生に悪いので、もう新庄さんのSNSは全部フォローを切ってしまったわたしだが、彼への信頼感を一挙に失ったきっかけは、インスタグラムに投稿された、使用前使用後みたいな、上半身裸写真の投稿である。

48歳でも8ヶ月でこんなになれる。鍛え上げた半裸体を自撮りし「ファイターズの可愛い子たちへ」とメッセージする。別に裸がキモかったわけではない。今週誕生日が来て59歳になるおばさんだから「きゃあ恥ずかしい(^_^*)」なわけでも全くない。「ふざけてる!」と怒ったわけでもない、夜中に一人で鏡の前で、全世界に自分の半裸を発信する、その濃度の濃すぎる自己愛ナルシズムの有り様に驚いただけだ。直感的に(ヤバいものを見た)わたしは目を閉じた。

一般的には好意的に迎えられたようである。誰も何も言ってなかったし。

もう、いつものことだが、何の根拠もない。しかし、この種の直感で外したことは、また残念だが、一度もない(自分だけが知ってることだから誰にも検証できないけどさ…)

わたしは感じる。新庄剛志という単身でいれば、一人の愛すべき自由人である人間が、一度「ファイターズの監督」となったとき。「このチームを絶対に強くしよう。みんなに愛されるチームにしよう」と彼が、心に強く誓った時。その(初めから強靭すぎ同時に不安の塊でもある)自己愛の翼は、大きく広げられ、チーム全体を包んでゆくのだろうと。

彼自身とチームは一体とならなければならない。それが「監督」の仕事だからだ。彼は、そう習ってきている。野村監督にも、ヒルマン監督にも、メジャーの監督にも。チームは監督のもの。監督が支配するものーそれが責任だと。

一度、そういう確信(=錯覚)が生まれれば、彼自身は、きっとその「監督の仕事」から離れられなくなる。責任を感じれば感じるほど、些細なことも気になり、コーチの白髪までも「俺のかっこいいチーム(かっこいい俺)には必要ない」となっていく。

そういうの自己愛モンスター、古い言葉で、自我肥大っつうんだけど。美容整形に過剰に傾いてた時点で出ていたんだよね…あえて言いますがーわたしたちが、彼の顔に感じていた違和感て「整形だから」じゃないんだよ。何かしら不安定なものが染み出しているからなんじゃないのかな…。


えのきどさんのコラムを読んだ。わたしも、同じ試合の同じ中田翔の打席を見ていた。テレビはロッテ戦で一球速報だけど。最後のバッターが翔くんだと。じーっと携帯を見ていた。ホームラン打てば勝ち越しだったが、フルカウントからの空振り三振だった。虚しさがこみ上げていた。一体どうするんだよ。中田翔…どうすりゃいいんだよ…。

>僕は「新庄ビッグボス」の新しい挑戦のために二度とこの話はしない。だけ>ど、これは言いたい。始まる前に終わらせなきゃダメだろ? ちゃんと終わらせてないんだよ。ファンの思い出はなかったことになるのかな? みんなが球場で見た夢は一体どこへ行くのかな?<同コラムより抜粋引用)

ただひたすらに中田翔の延命のみを求めて、事実上の隠蔽をしただけのファイターズは、おっしゃるとおり、だから何も終わっていない。

終わってないところに無理やり、さらに「過去」から呼んできたのが、「新庄さんの思い出」だ。スーパースター新庄、北海道のプロ野球を導いたぼくらのヒーロー。そしてまた新たに、瀕死のファイターズを甦らせる救世主として。

おそらくは、その枷を、新しい夢ーを、鎧として着ればきるほど、監督としててがんばろうとすればするほど新庄さんの苦しみは強くなり、自己愛の発露は、より強烈に過剰になっていくのではないか。わたしは、それがものすごく嫌というか、不安なのだ。心配で怖いんだよ…。

別に多くの人は、気にしていないし、多くの人は受け入れて期待しているのだから、問題もないかもしれない。あたしの方が、ただの妄想狂の変なババアならば、全然それでいい。

だけどさ、終わっていない場所に、定まってもいない位置に、柱を打って、家ってちゃんと建つものなんですか?

何か、大事なことを捨て忘れたままなんじゃないのか。ファイターズよ。


信じようとしてみるーと書いている自分が偉いと思った。「信じる」と書いたら呪いになる。言葉って自分を縛るからね。信じようとしてみたけど、今のところは信じられない。ファイターズの野球が始まっても、どうなるのかわかりません。

白髪指令撤回だそうです。とりあえずゆうじさんのヘアは守られましたが。だけどそもそもの指令の理由は、実は自分自身が「総白髪だから」という、やっぱ自己問題。どうすんだよ。おれ直感の証明になってまってるよ…💦

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