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女のいない世界と男のいない世界ー森喜朗東京オリンピック・パラリンピック組織委員会会長「女性差別」発言ーを考えてみる。わたしのマンガ体験からーその3


「女の子になりたいよ」

女の子になりたいよ。トリステスは泣いた…。

中東国の王女様、レージデージは素性を隠し、日本の青年の家で少年トリステスとして過ごす。立ち去るその日の前に、彼(彼女)の口からこぼれた、その言葉を。

わたしは、ずっと、もうずっと忘れることが出来ない。

1976年大島弓子が描いた中編の傑作ー『すべて緑になる日まで』(白泉社)掲載当時、別冊少女コミッックは確かに購読していたはずだが、この年はなんといっても『ポーの一族』(萩尾望都)のシリーズ終章年で、もうエドガーに会えなくなる、アランが燃えていなくなってしまった…そうさせたのは、やいのやいのと続編を求める大人のファンのせいだ!!と怒り狂っていた14歳の記憶ばかりが強く。改めて大島マンガに没頭したのは、高校生から大学生になるころだった。

中学生の頃、とにかくわたしは「女嫌い」だった。(70年代には「ウーマン・リブ」や女性の権利獲得運動はあったが、ジェンダーという言葉はまだなかった。性的役割の不平等ー性差別が問題だとかいう認識などあるはずもなく)ただ自分が「女の子」であることが嫌で嫌でたまらなく、その道連れとして「女らしい」事柄や「女の子らしい」何事かも忌み嫌うようになっていた。

前にも散々書いているけれど「女になる」なんて一つも良いことはなかった。それ以前の楽しかった子どもの自分は消えてなくなり、自己イメージで語れば、何か真っ黒でぶよぶよした煤けた物体に目玉がついている。中学時代の<私>は、そういう姿をしている…。

そのような自分に「わたし」という女の子が使う自称は、ふさわしくない。自分のことは「僕」と言ったり「わし」と言ったりしていた。真っ黒でぶよぶよで煤けているのでおしゃれなどにもまったく無関心になった。小学生の時は、ファッションマンガが大好きでお洋服の着せ替えノートも大好きで、可愛いドレスを着たひらひらしたフリルの女の子の絵なんか山ほど描いていたのに。

真っ黒い物体の<私>に相応しく、真っ黒いぶかぶかのズボンに黒いベストを着てもじゃもじゃ頭のふてくされた顔をした写真が残っている。

でもまたしかし、その「僕」は、だからといってただのネクラなデブの女子中学生なわけでもなかった。小説好きの生徒と集まって文芸部を立ち上げ、教師に申請。北海道新聞の詩のコーナーに投稿して掲載されたり。マンガはもちろん自分でガリガリ描いて、石森章太郎先生伝説のサークル「墨汁一滴」よろしく肉筆回覧誌(昔のことって一々説明しないとならないからめんどくせーなおい。肉筆回覧誌とは、未だコピー機などない時代にマンガ家志望の青少年たちが自ら描いたマンガの生原稿をそのまま閉じて、みんなで読み合うための冊子である)を一人で作り、クラスで回覧していたり。

プロ野球とSF小説が大好きだったので、同じ趣味の男子と毎日のようにわいわいと盛り上がっていたり。図書副委員として図書室にいりびたり年に一度は小樽の本屋に担当教員と他の委員と出かけ、勝手に当時没頭していた筒井康隆の単行本をどんどこどんどこ購入してきたり。結構というかかなり活発だった。

こうしてみると中学生のわたしは、知識量は中学生離れしているし、大変に面白いユニークな子どもであり、自発的に行動できるし、仲間をまとめるリーダーシップもある。まさしくも「女の子にしておくのはもったいない」タイプの少女であったーのかもしれない。

「僕」の仮面を被って。

心に毛虫のぶよぶよを住まわせて、あっけらかんと好きなことをやっていた。でも同時に劣等感の塊で、そしてひどく怯えていた。「女嫌い」女性嫌悪とは、恐怖ーでもあった。同性の女の子がものすごく怖かった。女子の情報が少なくて話題に入れないし、小学校でも中学でも生理のことや体型や下着のことなどで、からかわれたりいじめられたりで嫌な経験が重なり、うまく話せなくなっていた。

だからより一層、男子的な趣味ープロ野球やSFや少年マンガに走ったのかもしれないけど、男子と仲良くすれば女子に嫌われるの法則にも当然気がついていない。同級生の女の子からしたら、こちらの態度が彼女らを無視しているーようにしか見えなかったのかもしれない。

子どもの無知や残酷さ、ちょっとした時間のズレや人との出会いのタイミングで、きっと感じる世界は、違っていただろう。でも時間は巻き戻せない。その時のわたしには、わからなかった。

「女の子にしておくのはもったいない」ような中学生だったのだとして。そんなタイプの女の子のままで、どうしてわたしは、いられなかったんだろう。どうして「僕」でなければ、生きていられなかったんだろう。

「女の子になりたいよ」

思春期を抜け、大人になろうとする頃。大島マンガを読み耽り、トリステスの台詞にぶち当たり、わたしは、泣いた。どうしてだかわからない。なんでかわからないけど、とにかく涙が出て出て出て、仕方がなかった。

また幾年かたって、子どもを産んだ頃だろうか。30歳を過ぎたころだっただろうか。もう一度読み直した。

「女の子になりたいよ」

その意味が、涙の意味が、胸に落ちていく。

ああ、わたしは、あの頃、ただ女の子のままでいたかったんだ。

女の子のままで、そのままの<私>で、いたかった。

ただそれだけだったんだって。


わたし自身の中に「女性差別」はあった。でもそれは、社会の方から植え付けられ、育てられた。被差別者である女性自身が「差別されて当たり前」と思い込まされている状態が、現実に被差別者が被害を受けているってことなんだ。

内面化された差別の解消は、「自分は差別されてよい存在などではない」と気が付くことから始まる。橋本治さんの本(どれだったか覚えてないけど)にも書かれてあった言葉が、今、はっきりと頭と胸に落ちている。


森喜朗 「女性差別」発言部分 全文

これはテレビがあるからやりにくいんだが、女性理事を4割というのは文科省がうるさくいうんですね。だけど女性がたくさん入っている理事会は時間がかかります。これもうちの恥を言いますが、ラグビー協会は今までの倍時間がかる。女性がなんと10人くらいいるのか今、5人か10人に見えた(笑いが起きる)5人います。

 女性っていうのは優れているところですが競争意識が強い。誰か1人が手を挙げると、自分も言わなきゃいけないと思うんでしょうね、それでみんな発言されるんです。結局女性っていうのはそういう、あまりいうと新聞に悪口かかれる、俺がまた悪口言ったとなるけど、女性を必ずしも増やしていく場合は、発言の時間をある程度規制をしておかないとなかなか終わらないから困ると言っていて、誰が言ったかは言いませんけど、そんなこともあります。

 私どもの組織委員会にも、女性は何人いますか、7人くらいおられますが、みんなわきまえておられます。みんな競技団体からのご出身で国際的に大きな場所を踏んでおられる方々ばかりです。ですからお話もきちんとした的を得た、そういうのが集約されて非常にわれわれ役立っていますが、欠員があるとすぐ女性を選ぼうということになるわけです。

「女性っていうのは…」女性っていうのは、いったいどこの誰なのですか? 


PS  上記の発言で、森さんは、ラグビー協会の会議について「うちの恥をいいますと」と言っている。女が多くて会議に何倍も時間がかかるーのが恥だと。早稲田のラグビー部つながりで推薦で入学し、4ヶ月で部をやめた男が、ラグビー協会の会長(なんですか?)やってる時点で恥じゃねーのかよ。日本社会の仕組み、しがらみ、組織の構造って、本当にイカれてる。平尾誠二さんは、こんな中で必死でまともな組織にしようとして、働きづめてガンになって過労死した。

森さんみたいな図々しいおっさんは死にません。石原慎太郎も麻生太郎も寿命を全うし、生き残る。言いたいこと言って、なんでも人のせいにして、ストレスがないんだもん。「俺だって苦労してんだ!」って? 1円だって汗水たらして自分で稼いだことのない男らに。そったらと言われたくないね。あの人らはお金を動かしてるかもしれないが、お金を稼いだことなどない。慎太郎は小説書いたってか?片腹いてえわ。ろくでもない駄作だけだろ。人のために働いたことはない。命を削ったこともない。そういう行為を馬鹿にし嘲笑い。労働者や女を下に見ていい気になっているだけの最低の人間だ。

最低の人間に「恥」だとかって、馬鹿にされている女ーあたしらは何なの? どうして怒らないの。怒るな優しく話せとか? ばっかじゃねえのか。怒ってんだよ!こっちは!

怒っていいんだよ。わたしたちは。言いたいこと言っていいんだよ。わたしたちは。でも現実では、なかなか言えない。それはなぜなのか。



















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