『三つ編み』 『彼女たちの部屋』レティシア・コロンバイン著 斎藤可津子訳(早川書房)


『三つ編み』が、世界的に大きな評価を得たのは、インドの不可触民ーカースト制の最下層、糞便処理を生涯の職とされ蔑まれる最貧困女性を取り上げ、その地の果てと思われる遠い世界の出来事が、カナダやイタリア先進国と呼ばれる国の女性たちと、見えない糸で結びついているーこの世の現実ーを鮮やかに描き出していたからではないかと思う。

女と呼ばれる人たちが、どんな風にこの世界で生きているのかー実は、わたしたちは、よく知らない。女性の心理とか、女性の描写とか言われてきた表現の大半は、男性がしてきたから。わたしたちはうっかりと、それが女なんだなと思い込んできてしまった。最貧困の哀れな被差別民ー彼女の中にどんな炎が宿っているのか、善良な彼らは、多分想像しない。ただ哀れな者を救わなくてはと思う。わたしたちは知っている。哀れな女性が世界中にいることだけは。

レイティア・コロンバインは、糞便を素手で毎日処理する女は、一体何を考えて生きてるのだろうかと考え、きっと彼女に必要なものがあると想像する。インドの最貧困の女になりきって物語を生きる。その想像力の羽ばたきにリアリティが一片でも欠けたら。読者には、一切通用しなくなる。カナダの弁護士でもイタリアのカツラ製造会社の女の子でも、それは同じ。

想像力にリアリティを与えるのは、猛烈な資料集め、勉強であり教養であり解析力、そして共感性ー何を選択するかの決断力と直感。だからこそ、わたしは『三つ編み』を読んで驚愕した。なんて凄い小説なんだろうって。ここまでリアリティを持って虚構を編み上げることができるなんて。ーこの世界に誕生させるー今、たった今生きて、苦しみ、それでもなお、生きてみようとする女たちをー

『彼女たちの部屋』は、『三つ編み』に連動しながら、舞台をパリの女性保護施設ー女性会館に移し、19世記から21世紀に及ぶ、女たちが置かれてきた、今現在も置かれて続けている現実的立場を描こうとする試み。貧困と差別、暴力にさらされ続ける女たちへの作者の共感性は、とても強い。作者のみならず欧州と日本に生きるわたしの「人権」に関する意識の違いを強烈に感ずる。

だからといって、これは人権運動を訴えるためのお話ではない。最も辛いような最も弱いような立場に置かれた女たちの人生に、最も必要なものとは、一体何かーをやっぱり必死で考え、想像できる限りの想像力で、リアルに存在させることー言葉の力によって。

主人公の一人である弁護士のソレーヌが会館で踊らされるダンスのシーンに、それは集約されている、んじゃないかと、わたしには思えました。中身が知りたかったら、是非、読んでみてね。


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