見出し画像

「わたし」は何者かーの呪いから放たれる時は、やっと自由でいられる時なのだろうか。


わたしは、北海道生まれの北海道育ちだが、両親は、高知県出身で、父は大学から母は結婚して北海道へやってきた。親戚は、すべて関西以西におり、北海道には誰もいない。

生まれてから育った家庭環境は、高知県人のもので、それは食べ物に顕著に現れる。北国の特徴である甘辛い濃い味付けが、我が家ではなかった。高知の味付けは関西風で、卵焼きに砂糖は入らず、おいなりさんは甘じょっぱくない、ゆず酢のきいた酸っぱいお味で、お赤飯も北海道人が大好きな甘納豆入りではなく、甘くない小豆の方だ。

母は、引っ込み思案で、社交的な人ではなく、地域活動や社会運動には熱心だったが、気安く家に上がったりあげたりするような友達は少なかった。よその家でご飯を食べたりした記憶は、数少ない。

父は公務員で、土曜日には「赤旗」の日曜版を配達していた。家では北海道新聞と赤旗があって、小学校の低学年くらいまでは、どこの家でも赤旗を読んでいるもんだと思い込んでいた(田舎の狭い公務員の官舎では、大抵読んでいたので…)

家では北海道弁は話されず、小学校に入ってから、他の地域の子どもを接するようになって、言葉がわからない場面が増え、戸惑うことになる(公務員宿舎の周りは、だいたいが地元出身でもなく、高学歴の人たちだから言葉も標準的だったのだと思う。)

〜だべさ。〜っしょ。

という北海道では、ごく一般的な語尾すら、使ったことがなかった。

「手袋を履く」は「手袋をつける」ことだったし。

「しゃもじ」は「おたま」のことだったし。

「へら」は「しゃもじ」のことだったし。

「ゴミを投げる」は「ゴミを捨てる」ことだった。

まるで内地から来た転校生のようだが、生まれも育ちも地元民なのだから、子ども心に知らないとは言えないし聞けなかった記憶がある。みんなの言ってるのを聞いて、真似してしゃべれるようになったべさ。

でも、そうなると今度は、家の中に違和感が生まれる。両親は、北海道弁はしゃべらない。おたまはおたまだし、おしゃもじはおしゃもじだし、ゴミは捨てるものなのだ。

アイデンティティの問題は、きっとそういう小さなところから始まっている。父母にとって高知県は故郷であり、アイデンティティも高知人だったと思う。しかし、わたしは北海道生まれの北海道育ち、高知県人ではない。でも道産子だとも言い切れない。

親は、親だけど。自分とは違うー。

「わたし」は、何者なのか?

甚だ不遜な話であり、例えるには、正しくないのは重々、わかっているけれど、例えば在日朝鮮韓国の人たち、外国籍の子どもたち「日本人じゃない」と不当に差別されたり、障害のある人たち、性的マイノリティーの人たち、世間から「普通じゃない」と阻害されてきた立場の状況や環境、差別問題などに、10代の頃から関心が強く、本を読んだり、映画を見たり知ろうとする気持ちを抱き続けてきたのは、家庭での親の教育方針もあるにせよ、きっと無関係ではないのだと思う。

一定の共同体からはみ出される、不当な扱いを受ける、異端とされてしまうことへの共感と自意識が重なり合って。「わたし」の在りどころを探す。そして同時に、関心を抱き、勉強したりしながら、何らの行動もしようとはしなかったのも、きっと同根なのだ。

熱心に知りたがり、近づいていって、いざ本当に交わらなければならないとなった時、わたしはいつも引っ込んでしまう。あるいは、相手から叱責され、おまえには、一緒にいる資格はないと、突き放される。

どうしてなのか。ずっとわからなかった。自分にきっと過ちがあるのだと思ってはきたけれど、やっぱりわからなくて…放置してきた。

でも、今ならわかる。そりゃそうだよ。相手にしてみれば、「あなたのことを考えています」という顔と態度をしながら、実は「わたし」のことを知りたくて近づいているだけ。そもそも「自分のことしか考えていない」のだから。相手にはわかる。わたしにはわからない。自分のことしか考えていないだけに、わからないのだ。あまりの鈍感さに、自分で呆れてしまうように。

相手のことを考えるー あなたのことを考えるー

その方法が、わたしには、やっぱりわからない。どうしてもわからない。

だけど、言葉による方法は、ちょびっとだけ、わかっている。わたしの言葉が、他人に通じる時は、いつも同じだ。

ただひたすらに対象に寄り添うこと。自分の考えを展開するー押し付けるーために対象を利用しないこと。それを絶対に守っているとき、言葉は届く…こともある。それを必要としてる誰かのところへ。

もう「わたし」は、何者でもいいし、何者でもなくていい。

何者かであろうとして、錯覚し、誰かを愚弄し、傷つけるのは、もうたくさん。自分自身を縛り付けるのも、もうたくさんだ。

58年も生きてきたんだから。自由になりたい。





















この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?