和魂と荒魂で見る自分

最近、価値観が合わないと感じる方と話す機会が多くありました。

新しい世界が広がり、見えなかったものが見えるようになるので、基本的には楽しいのですが……。

時々、以下のような状況にイラッとすることがあります。

  • 向こうの価値観を強く押し付けられる

  • こちらの価値観を強く否定される

  • こちらの気持ちを無視される

例えば、「私はあなたの言っていることを否定していないのに、そっちはどうしてそんなことを言うの?」と感じることがあります。

結局、「お互いに違う価値観を認め合うべき」という私のルールを破る相手に対して怒りを感じているんですよね。(笑)つまり、私も自分の価値観を押し付けたいわけです。

「自分も相手と同じことをやっている」と気づくと、イラッとする自分を少し責める気持ちも出てきます。「あぁ、あんなことでイラッとするなんて……。ちっさいなぁ……」といった感じです。

でも、ふと「和魂(にぎみたま)と荒魂(あらたま)」の話を思い出しました。

和魂は、わかりやすくまとめるなら「神様の温厚で柔和な部分」、荒魂は「神様の怒りや祟りなどの激しい部分」。この二つの魂が合わさったものが陰陽図であり、陽の側の中にも陰があり、陰の側の中にも陽がある……ということを教わったんですよ。

これを思い出したら、イラッとしてもいいんだなって感じたんです。それから、押し付けても押し付けられても、別にいいんだなとも思いました。

どちらかだけじゃなく、両方あっていいし、陰陽では表せないものもあっていい。というか、いいも何も、あるんですよねぇ。
それが宇宙です。

今回は、そんなことを綴ってみました。

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