「自分優先」に罪悪感を感じるときに。

「100人の村で、全員が自分以外の99人のために過ごしていたら、その村はとても幸せで豊かな村だ。」

時々、そういう話を聞きます。その度に想像してみて「そうだよね」と思います。

一方で、この話を聞いて嫌な気持ちになったり、悲しい気持ちになったりする人もいます。そういった人々は、自分のことを一番大切にし、優先している人です。ですが、自己中心的な部分は誰の中にも、少なからずあるんじゃないかな……?と、私は思うんです。

私の個人セッションに来られる方々からも、「エゴイスティックな自分を変えたい」という相談をよく受けます。誰かのために生きたいと思っていても、そうなれない自分を責めて苦しんでいるんです。

それで、時々、私も考えるんです。
100人が全員、「自分の喜び」を追求している村は本当に、利己的な世界なのかと。

そして、そうではないバリエーションも、あるのではないかと思うわけです。

例えば、掃除が好きな人が自分の家も他人の家も掃除し、作るのが好きな人が自分のためにも他人のためにも料理を作り、歌うのが好きな人が歌い、聞きたい人がその歌を楽しむ。

要するに、個性豊かで多様性に富んだ人たちの村ですね。誰かがやりたくないことは他の誰かがやりたがっていて、うまく噛み合う村です。

村の誰もがやりたくないことはテクノロジーが解決してくれるんです。そのテクノロジーも、開発したい人が開発し、出資したい人が出資する。

そんな村ですね。


100人が100人とも、自分以外の全員のために生きている村は、素晴らしい村です。それは間違いない。

そして、100人全員が自分の喜びを追求する村も、多様性に富んでいれば、素晴らしい村になるのではないかと思います。もちろん、自己の喜びのために、他人の権利を侵害したり、無理強いをしたりするのは別の話です。

どこかに属せない自分を責めるより、新たな場所を探したり、創り出したりする方が、きっと楽しい毎日になります。


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