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38歳で卵巣がんになったお話(2)

前回のお話の続きです。

入院当日の主治医の説明

2021年7月初め、卵巣がんの疑いで入院しました。
夫と一緒に保育園に娘を預け、その足で病院へ。
初めて会う主治医、副主治医、受持医、研修医、医学部の学生などが揃って、個室で夫と共に説明を受けました。

まず私が希望しているのは、第2子を産める可能性を残したいこと。
そのため、腫瘍のある右の卵巣だけ摘出して、子宮と左の卵巣は残す、妊孕性(にんようせい)温存治療をすることになりました。
ただ、お腹を開けた時に明らかにがんが転移していたら、子宮と左の卵巣も摘出する。
抗がん剤治療をした場合、不妊になる可能性がある。

そして、手術では右の卵巣と卵管をまず摘出してその場で顕微鏡で検査し、良性腫瘍か境界悪性腫瘍であればそれで手術は終わり。2時間程度。
がん細胞が出たら骨盤・傍大静脈のリンパ節、大網(胃から垂れ下がって大腸や小腸などおおっている網のような脂肪組織)も切除するので6時間程度の手術。
そしてその日は高度治療室(HCU)で1晩過ごす。
コロナ対策で面会禁止なので、手術が終わるまで家族は自宅待機。
終わったら電話が来るので、お昼頃に連絡が来なければ、がんであるということ。

また、卵巣を摘出する時に子宮や他の臓器に癒着していると、つるっと取れなくて卵巣が破れて中身が出てきてしまうことがある。
その時はがんだった場合、他に転移してなくても抗がん剤治療をしなくてはいけない1C期になる。
スムーズに取れれば1A期で抗がん剤はしなくてもよい。

などなど、いろいろな資料を渡されて説明を受けました。
それでも私は楽観的で、きっとがんじゃないから大丈夫、と思っていました。
夫もそう思っていたようです。

説明のあと夫とはお別れし、病室に向かいました。
有料大部屋なので少しだけ広い4人部屋。
今日は婦人科の一般病棟だけど明日はHCUなので、明日の朝に夫に荷物を持って帰ってもらって、HCUに持ち込める必要最低限のものだけにして、明後日に一般病棟に戻ったらまた夫に荷物を持ってきてもらわなければなりません。

その日はお昼の病院食を食べ、手術用におへその掃除をされて下の毛を少し剃られ、医学部の学生に曽祖父の代までの家族構成と病歴を聞かれ、夜ご飯から流動食になり、シャワーを浴びて、浣腸をされて、睡眠薬を飲んで寝ました。

手術当日

6時半以降は水分摂取も禁止、また浣腸をされてお腹の中はすっからかんに。
手術着に着替えて弾性ストッキングを履き、8時半に手術室に向かいました。
全身麻酔の手術は人生で2度目(不妊治療中に子宮内膜ポリープ除去手術をしました)でしたが、大学病院での手術は初めて。
手術室めっちゃたくさんある…ドラマみたい〜。
私が使う手術室の前に着くと、お医者さんや看護師さんがたくさんいて、ドキドキしました。

手術台に寝転がって、麻酔科医が点滴の針を刺します。
が、私は血管がとても見えない人間。
前回の全身麻酔手術の時も何度もルート失敗されて、結局右手の甲に刺された思い出が。
今回も同じパターンでした。痛いけど、もうどうにでもなれ状態。

そしてマスクをつけられ、眠くなる空気いきますよ〜。との声かけ。
きたきた全身麻酔。前回は無駄に耐えてみようとしたけどいきなり意識シャットダウンしたな。
今回は吸った瞬間に、心の中でおやすみなさいって言いました。

術後のHCU

手術終わりましたよー!と声をかけられ、麻酔から目覚めるとどこかに運ばれてる感。
耳元で主治医が「がんでした!でも転移はしてなかったですよ!あと小腸の一部も取りました。」みたいなことを言っていましたが、意識朦朧でそれどころじゃない。
HCUについてベッドに移され、なんかもう今の状態がとにかく全部つらい。

両腕を動かすと肘の内側に激痛が走り、「痛い痛い痛い!」と言うと、切ったお腹が痛いのかと看護師さんたちが慌てているけど、肘が痛いんです。
なんでそんなところが痛いのか全然理解してもらえないし、私もわからない。
どうやら手術は8時間かかったようで、ずっと動かさなかったからか慣れない体勢だったのか、それで痛くなっちゃってるみたいでした。

8時間仰向けだったせいで腰もバキバキに痛いし、鼻の穴に管が入って喉まで通っているようで唾を飲むのも痛いし、お腹にも何本も管が刺さり、尿道にも管が刺さり、右手の甲には点滴。
今自分がどんな部屋にいるのかもよくわからないし、何時なのかもわからないし、お腹に力が入らず自分で寝返りも打てないし熟睡もできないので、とにかく時間が過ぎるのを堪えるのみでした。

痛かったらこのボタン押してくださいね、点滴に痛み止めが入りますから。と言われ手に握らされたボタンとナースコール。
お腹の傷の痛みはそこまで感じないのですが、腰と腕の痛みに悶えている間にいつのまにか手から離れて見失うけれど、それを探す余裕は全くありません。

1時間か2時間に1回、看護師さんが来て体勢を右向きや左向きに変えてくれるのですが、朦朧としながらされるがまま。
窓際ではないベッドだったのですが、どこからか日がさしてきて「あぁ、やっと朝になった…」と少し安心しました。

そしてまた何時間か経った頃、婦人科病棟に移動しますよーと言われ、寝たきりのまま担架に移され、メガネをしていない裸眼(0.1以下)で周りの人も自分がいる場所もよく見えないまま移動し婦人科に着いて、連れてきてくれたHCUの看護師さんにお礼を言いお別れし、よくわからないまま個室のベッドに移されたのでした。

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