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俺の目標はまだ達成されていないから・・・

私がお嫁に来た17年前99%以上のブータン人は「柔道」を知らなかった。テコンドーは40年以上も前にブータンに紹介されていたから、文化推奨という観点からするとかなり日本は後れを取っていた事になる。

それはさておき、相方と私がブータンに「柔道」を紹介してから今年で記念すべき10年目となる。始めは学校のクラブの一つとして柔道をブータンに紹介したのだが、この10年の間に世界で一番小さい柔道組織である「ブータン柔道協会」は目を見張る成長を遂げた、と自負している。笑

今日はその協会メンバーであるTくんの話を書きたい。

Tくんは中学校から柔道を始めた。うちの学校の川向うにある公立の学校の生徒であった。基本的に運動神経が悪くない彼はコツを掴んで、どんどん伸びてきたのだが、ただ一つ問題があった。

全く社会的な道徳観念がなかった。街を徘徊する野良犬の様だった。悪気は無いのだが親も学校も誰も彼と向き合って基本的な道徳観を教えた事がないというのが明らかだった。

それからネパールへのジュニア部門での大会があり、彼もそのメンバーに選ばれた。大会後、帰国した女の子たちのメンバーから彼に対する苦情を聞いた。ネパール滞在中女子の子たちをからかい泣かしたらしい。。。

ブータン柔道協会は、いじめや女子をからかう行為は退会となる厳しいルールがある。帰国後初の練習時に彼は私から大目玉を食らった。彼はかなりそれがショックだったみたいだが、その日を境に彼の素行が変わって来た。柔道に対して熱心になり、その後ぺルキルスクールから柔道奨学生として受け入れられると、学校のボランティアグループに入り、積極的に活動し始めた。

柔道はどんどん上達し始めた。しかし彼の階級には彼より長く柔道をやっている彼より強い選手がいて、2番手の彼は海外の大会に出場する機会がなかなかなかった。

そんな彼に思ってもいないチャンスが訪れた。南アジア柔道大会がネパールで開かれる事となり、同時期に階級一番手の選手がトルコでの研修を受けていた為、彼が出場できる事となったのだ。

「チャンスというものは簡単に訪れるものではないのだから、自分の目の前にその機会が降りて来た時に全力で勝負をかけるのよ!」と私もかなり発破をかけた。

昨年4月の南アジア柔道大会において彼は予想以上に活躍し、後一歩で銅メダルという所までコマを進める事が出来た。私は彼の最後の試合に思わず泣いた。試合後一番小さいブータンチームの前を彼が通る時、「すいません。メダル取れなくて。。。」と目に涙をためながら横向きで言った。

昨年の秋柔道の練習中膝の靭帯を損傷した。受験年だったので、勉強に専念する事にし、柔道はしばらく出来なくなった。

そして、昨年12月私がブータンを離れていた間に彼は勝手にブータンで手術をした。ブータンではまだまだ医療のレベルが高いとは言えないので、ここで手術をしてスポーツ選手として回復できなかった選手が多いから、手術をする必要がなければ、出来るだけしない様に私は伝えていた。ブータン柔道協会では過去に海外からスポンサーを探してインドのスポーツ専門の病院へ送った選手もいた。

年が明けて偶然彼がもう一人の柔道家と歩いているのに出会った。その時に彼の態度が明らかに変わっているのに気づいた。全く目を合わせようとせず、明らさまに態度が悪かった。全く会話にならなかった。

その後、相方も彼に会う機会があったが、かなり態度が悪く、「あいつは何だ。柔道が嫌なら止めてしまえ!」と温厚な相方が怒りを抑えきれないほどであった。私は「膝が思った以上に動かないんだろうな。」と思っていた。

2月に入り、彼の家族が他県に引っ越した事を聞いた。ブータンに柔道場は一つしかないので彼はそこではもう柔道が出来ない。彼は柔道を止めた。

その彼が数日前柔道道場に帰って来た。

私は喜びの気持ちを顔に出さない様にし、「何でここにいるの?」と表情を変えずに言った。「あ~」と彼は何かを言いかけ、私を見て微笑んだ。そこには以前の彼が戻っていた。

「家族は皆モンガル(首都よりバスで2日)に引っ越したんでしょ?何であなたはここにいるの?」私は彼をテストしていた。

「え~と、ティンプーに、、という事。それとも、、、柔道道場に、、という事。」

「どちらでも良いわよ。」

彼は沈黙した。私の方を見て、「察してくれよ」と言わんばかりの微笑みを見せたが、私は無表情で彼の言葉を待った。言葉で言わないとダメだ、という空気を送ったのである。笑

沈黙は長かった。そして意を決したかの様に、横向きだった姿勢を正面に向け、

「俺の目標はまだ達成されていないから。」と言った。

「目標って何?」と私が尋ねると、

「まだ俺は南アジアのチャンピオンになっていない。だから柔道を諦めるわけにはいかない。」彼は柔道に戻ってくる決心をした。

膝がどこまで完治するか今の時点では分からない。それでも彼の胸の中にははっきりとした目標が出来た。そしてそれは彼のこれからの指針となるだろう。

ブータン柔道協会にはたくさんのこんなエピソードがあり、一つ一つのエピソードが私を泣かせる。

ブータン柔道協会10年目の今年、私達は勝負をかけるつもりだ!今秋ネパールで開催される南アジア大会でブータンの旗を表彰台で揚げる予定なのだ。

乞うご期待!そして、世界最小のブータン柔道協会の応援宜しくお願いします!



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