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自己効力感と踏み台昇降運動の話

リエです。今日は今年度最後の日。新年度スタートに向けて、新たな習慣を作りたい。そう思い立ち、アカウントだけ作って手付かずだったnoteを始めてみます。初回は、ずっと書きたかったエピソードをお話させていただければ。テーマは「自己効力感と踏み台昇降運動の話」。お付き合いいただければ嬉しいです。

小学校のスポーツテスト

小学生の頃、「スポーツテスト」というものがありました。「運動能力測定」だとか、学校によって呼び名は変わると思うのですが。走ったり、跳んだり、投げたり。それらの能力を測定するんですね。運動が苦手だった自分には、けっこう気が重いイベントでした。

スポーツテストの種目には、「50メートル走」、「走り幅跳び」、「ボール投げ」などがありましたね。←全部苦手。「握力」もあったなあ。←これはあまり疲れないので、良い記録は出ないものの、まあまあ好きでした。「上体そらし」。←これは、疲れないし、まあまあ良い記録が出せたので好きでした。「反復横跳び」。←これも何故か好きでしたね。懐かしい。「踏み台昇降運動」。←はい、今日の本題です。

踏み台昇降運動とは

ご存じの方が多いとは思いますが、念のため。なんと、「1999年以降は文部科学省が実施する体力テストから除外された」との記述があるので、お若い方には「?」ですね。

「踏み台昇降(ふみだいしょうこう)は、身体運動の一種で、高さ10~30cmの台を用意し、足で前後に昇り降りを繰り返すもの。踏み台昇降運動ともいう。」「踏み台昇降テストは、心拍数を用いた全身持久力(スタミナ)テストの一種で、運動直後の心拍数を測定し、心拍数の回復をみることによって全身持久性を判定する。」(Wikipediaより)

私の中に生まれた、自己効力感の芽

スポーツテストの中の一種目、「踏み台昇降運動」。こちらで私、上位の数値を出せたのです。これ、何をもって「上位」とするのかというと。このテスト、「3分間の昇降運動ののちに、30秒の休憩と30秒の脈拍計測を3回繰り返す」という測定方法。要は運動直後、手首を押さえて脈を数え、その脈拍数が少ないほど、全身持久性が高いと判定されるということです。こう言っては何ですが、とても地味なテスト。「50メートル走でクラス上位」の方がそれはそれはキラキラしています。それでも、私の中にはこの時、自己効力感のようなものが芽生えました。「私は、持久力があるのかもしれない」と。

ちなみにこのテスト、「手首で脈を取ることは非常に難しく、正確な計測数値が出せないことが多い」という理由から1999年に廃止に。つまり、このテストの結果はそんなに当てにならないということです。しかし、そこは問題ではありません。思い込みだろうと、勘違いだろうと、私の中に「自分には持久力があるのかもしれない」という気持ちが生まれたことが重要なのです。

自己効力感が生む好循環

その後、どうなったかというと。まず、持久走大会の順位が大きく上位に食い込むようになりました。学年10位以内表彰だったのですが、上記の出来事以来、中学に上がっても毎回10位以内をキープ。中学では、「陸上部よりも走る」と言われていた剣道部へ入部。「持久力をもっと活かしたい」という強い想いが、長距離走探求の道へと突き動かしていきます。

とはいえ、自分は「速く走れる」というよりも、「長く走っていても疲れにくい(むしろ快感)」という特技を持っていたにすぎず。持久力を陸上競技に活かすというよりは、剣道で「いかなる時も平常心を保つ」ということに活かす方が合っていました。そういう意味でも、剣道部を選択してよかったと思っています。そしてこの身体的な強みである「持久力」が、自分の中に眠っていた「忍耐力」という別の強みを引き出していくのですが、これはまた別のお話。

数字という客観的基準

運動が苦手だった自分にとっては、スポーツの世界の「測定」「順位付け」は苦痛以外の何ものでもなく。しかし、「とにかく運動全般苦手」と思い込んでいた自分の思い込みを取り払ってくれたのは、測定から得られた「数字」でした。この時の数字は、強い力を持っていました。「自分ではよく分かっていなかったけど、数字がこういう結果を出しているのだから、きっとそうなのだろう」と。

自己効力感の芽生えは人ぞれぞれだと思います。「成功体験」であったり、「人から褒められた」であったり。私も場面により様々です。今回は、それが「数字」だった、というお話でした。

文章の終わらせ方って、難しいですね。唐突な終わり方を自分でも感じつつ、ここで終わらせていただきます。まずはずっと手付かずだったnoteを、無事始められたことにホッとしています。最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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