【本】『ムーミンパパ海へ行く』を読んで
登場するみんながおかしくなってる、という感覚が読んでいる間じゅうにあって、読み進めるのが少ししんどくて、短い薄い線で絵を描くように少しずつ読み進めた。その「おかしさ」は自分の中に心当たりがあり、だからこそしんどいとも言える。その「おかしさ」は、家族のおかしさである。物語のおかしさに手触りがあることに、ムーミン作品の力を見せつけられた気がする。魚を保存する容器のことや乾かない板で棚を作るのはよくないなど、其処彼処に生活の手触りがある。
ムーミン谷を離れ、ムーミントロールもママもパパもミイも、そして海も木も島もみんな同じくおかしな調子になっている、というように私は思えたのだが、特に印象に残ったのは、ムーミンママのこと。ムーミンママは、いろいろなことを言い切る。モランは危険じゃない、避けなければならない石のようなものだと言ったり、ピクニックへ行こうと言ったり、漁師を灯台へ連れてきたり。それは他者のために自らの身の内に決断の責を引き受けているように思えた。
私がそのように思うのは、自分の母親をムーミンママに重ねるからだ。
私は高校を卒業するまで実家で暮らしていたが、冷蔵庫には母の手で上記の一節が書かれたメモが貼られていた。高校生の私は、それを見ながら牛乳を出したりジャムを出したりした。
子がいじめに加担していると知った時も、家族が病気になった時も、その治療も、大きめのハプニングを受け入れたことも、決断したのは母だった。母の姿から、大人になるとは、決断して引き受けることなのだと私は思っている。もちろん、何をどう引き受けるかが大事な訳だが。
ムーミンママは、不思議な力で自分が描いた絵の中で休息の時を得る。絵に複数の自分を描き込むママや、ママを探すパパにニヤついてしまった。
物語は最後、収まるところに収まった風になる。これは家族の物語だ。
息子はそういうお年頃になったのね、を見守るママと鈍いパパのような、定番シーンも折り込みつつ、親子のそういうお約束を揶揄っているような感じもする。私は美しいウミウマの登場は、優美なおふざけと受け止め、ありふれた定番に怖さを見るところが面白いと思った。ウミウマの花模様って、私はなんか怖い。
『ムーミンパパ海へ行く』の感想は、よっくわっかんないなーなのですが、振り返るとやっぱり面白かったです。次は十一月を読もう。