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「めんどくさい」の向こう側へ。

いまでこそ「めんどくさい」と
思うことが少なくなってきたけれど
ほんの十数年程前までは、あらゆることを
「めんどくさい」と思っていた。
 
本当にめんどくさいかどうか?は
置いておいて、めんどくさそうに
思えるものには「めんどくさい」と
いう反応があったし
 
めんどくさいと思うこと全てに対し
行動が億劫だった。
 
例えば、ご飯を作ること
お風呂に入ること、掃除すること
部屋を片付けること、化粧すること
仕事に行くこと….

こうやって書いていると
なんだよw 生きること全般的に
めんどくさいと思ってたんじゃんw
と突っ込みたくなるw
 
いまでも「めんどくさい」と
いう反応がある時がある。
 
けれど、その反応に反応はしないw

そんな時は
 
「あぁ、めんどくさいよねぇ。
めんどくさいの向こう側に
一緒に行ってみようね。」
 
って、小さな自分をなだめて
ことを為している。
 
この「めんどくさい」という暗示。
どこからきたんだろう?と
潜在意識を検索していくと
 
しかめっ面した母の顔が浮かぶ。
 
小学生の時かな?
体操服の胸の部分に、ゼッケンを
縫い付けるのをお願いしたら
 
「えーーーもぅめんどくさいなぁ!!」
 
という言葉を放ちながら
それまでやっていた作業をやめて
ぶつぶつ文句言いながらやってくれた
イメージである。
 
いま、そのイメージを思い浮かべたら
めんどくさいと言いながらも
やってくれてたよね。
ありがとね、って思えるけど
 
潜在意識に検索した時は
 
「自分は親から面倒がられる子」

「親から愛されていない」
 
という解釈をしていたことに
気がついた。
 
「めんどくさい」という言葉は
わたしがわたしを、愛から遠ざけるのに
うってつけの暗示になっていた。

だから、逆に
 
「めんどくさい、って思うことを
あえてやってみた時、わたしは
五感を通して何を感じるんだろう?」
 
と思い、それをあらゆるシーンで
実験的にやってきた。
 


最たる実験は

「自分の身を置く空間を変えること」。
 
以前、わたしは、部屋が
片付けられない汚ギャルだったw
 
母からは「ゴミちゃん」と
あだ名をつけられていたくらいだw
 
ホント、ゴミみたいな部屋で
自分をゴミにしか思えなかった。

(空間は非言語の暗示なのです!!)
 
長年住んでいた京都の家を手放し
神戸に移り住むタイミングで
それまで使っていたあらゆるもの
(過去の記憶が乗っかったものたち)を
全て捨てて、お金と、時間と、手間をかけ
自分が住む空間を創ったんです。
 
自分を姫のように扱う

そんな空間にしようと。
 
ちなみに今の淡路島の家は
 
「居心地の良いカフェみたいな空間」
 
をコンセプトに空間創りをしていて
以前に比べると、部屋の中の物の量が減り

大好きなものやお気に入りの
ものだけに囲まれて、めちゃくちゃ
快適な空間なのです。
 
めんどくさいの向こう側には
「快適で心地良い」がありました。
 
そして、我が家には掃除機はなく
シュロというほうきで
基本掃き掃除です。
 
あるお気に入りの雑貨屋さんに
行った時に、シュロのほうきを
見つけた瞬間、掃き掃除している
自分をイメージして
 
「めんどくさい」
 
って反応したので買いました(爆)
 
めんどくさいなぁ、と思いながら
掃き掃除してゆくと、段々綺麗になって
部屋の空気まで祓われてゆく感じがして

部屋や、そこに住まう自分自身も
「聖域」のようになってきました。
 
自分を大切に扱うことで
わたしがわたしに安心して寛げる

気づいたら、そんな感覚を
感じるようになりました。
 
 
 
 
「めんどくさい」は、わたしを
愛から遠ざけてきた暗示だったけど
 
いまは「めんどくさい」という反応が
わたしを、有難さや愛と一体化する
領域へ連れていってくれるキーに
なってくれているように感じます。
 
めんどくさい、という反応をする
わたしも抱きしめて、面白い未来を
クリエイションしていこうと思います。

#暗示
#潜在意識
#めんどくさい


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