見出し画像

わたしが「縁起設計」をするワケ。

「縁起設計」って
聞き慣れない言葉かもしれませんね。
 
わたしが無意識にやってることを
一言で表したら、タイトルの
 
「縁起を設計する」
 
ということなんですよね。

既存でこの言葉があるかどうか?は
知らないんですけどw
 
わたしにとっての「縁起設計」は
 

関係性や出会いをデザインする


というもの。
 
それは何のためか?というと
2つあって、1つは
 
コミュニティを聖域にする
(コミュニティのクオリティを護る)
ことと、もう1つは
 
幸福の最大化です。

そして、縁が繋がった人たちが
どんな体験をすれば
どんな場を共創すれば
本来の自己へ還り
生を躍動させていくのか?
 
それをデザインするのも
縁起設計です。

そもそも、なぜ
縁起設計なんてするのか?と言うと
 
わたしが、いつでも
目の前の人のいのちと本気(自然体)で
向き合い関わるからです。
 
セッションだから、とか
お金をもらったから、とか
 
そういうのを超えて関係なく
いのちといのちで関わるから

そんなわたしが
わたしのままで在るために
いつでもそのままのわたしで
大切な人たちと関わり合える環境で
あるように。


経済というシステムを「結界」に

わたしは、経済がゴールになることは
ないけれど、縁起設計をしていく上で
経済は「結界」をつくる手段になります。

昔、悩み事がある、という友人の
相談に乗ったことがありました。

当然、真剣に話を聞くし
その現状が解決できるように
時間をかけて具体的なアドバイスをします。
 
ところが、数回、同じような
悩み事相談が続きました。
 
そこで気づいたのです。

この人、この悩み事を、本当には
解決したく無いんだな、と。
悩みの渦中にいる悲劇のヒロインを
やりたいんだ、と。

ここにわたしもまんまと加担して
いたんだ、ということ。
 
相手には時間を搾取させ
結果なにも生み出せてないし
誰もハッピーじゃないやんw と。

 
そして、何回目かの相談の時
わたしはキッパリと友人に言いました。

「あのさ、これ、ほんまに
解決する気ないやろ?
わたしの時間を何やと思ってんの?
ほんまにこのことを切実にどうにか
したいんやったら、ちゃんとお金払って
セッションを受けなさい!!」

すると、あっさり
次からその悩み事相談は
なくなったのですw

もちろん、これには
わたし自身も「友だちだから」
という免罪符を無意識に渡して
いたのだろう、と反省然りです。
 
これまで、そういう
数多の経験を重ねながら

わたしは、どういう人たちと
どんな関係性を構築して
どんな体験場を共有していきたいか?を
明確にした結果

コミュニティのインフラ整備
コミュニティまでの動線を考え
経済の仕組みを結界的に活用し

自分の人生を主体的に
創造的に生きていこうとする人が
集まるように設計したのです。

例えば、わたしが主宰する
【eichi】というコミュニティの
LP(ランディングページ)は
 
刺激的なキャッチコピーや
わかりやすい具体的なベネフィットなど
一切書いていません。
 
それは、そこにお金を払う人が
入ってこないようにするためです。
 
つまり「受け身」的な人が
入れないようなデザインに
なっているのです。
 
なので、eichiに集まり
リトリート、イベント
共に旅をしたり、リアルに
関わる人たちは

「テイクしよう」
 
という思考は全くなく

「共創して分かち合う」

という人たちばかりで
とにかく、コミュニティ全体が
健全で醗酵的なのです。

前提共有もできているから
なおさらですね。

こういう環境だから
ホント護られていて、仲間たちに
感謝しかありません。


わたし、正直に言うと
リアルに関わり合う人って
そんなに沢山の人数じゃなくて
良いのです。笑

っていうか、物理的に沢山の人と
関わるのって無理じゃないですか。

時間も有限だし
体は1つしかないわけで

わたしのエネルギーを掛け算する
リアルな関係性って、そんなに数は
マジで要らない。

発想が「テイク」な
受け身的なフェーズのところに
エネルギーを掛けるのは、これは
負債でしかないワケですw

そのフェーズを否定はしないけど
そのフェーズの方々とは
出会わないようにする方が
お互いの為にも、宇宙の観点からも
負債が生まれなくて良いのです。
 
そういうことで
わたしは縁起設計をしています。


そうだ、公式LINE始めました。


こちらは主宰するコミュニティ【eichi】



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?