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見上げよ

こんなに情報、言葉が溢れているなかで、さらに言葉を加える意義はあるのか。

大切だと思う、必要だと思うから残したい。

見上げよ。

今日、そう思わされた。

自分はよく下を向いて歩いていると気がついた。

周りを見渡すと、下を向いて歩いている人ばかり。目は、手ほどの大きさの機械に釘付けの人ばかり。これを読むあなたは、どこを見ていますか。下を向いていることが多い人ですか。

見上げよ。

今日、上を見上げる理由がある。そこにはキリストがおられる。キリストは一度下り、上げられた唯一の方であるから、私たちが人生をかけて、どんな状況に置かれていたとしても見るにふさわしい唯一の方である。

見上げよ。キリストを見よ。

キリストは一度下られた。人が経験するどんな種類の痛みも経験として知っておられる。死まで経験された。どんな痛みを苦しみも分かってくださる。下を向く日もあってもいいと思う。そこにも主は、共にいてくださる。

ただそこで留まってはいけないと思う。キリストは下られた後、あげられた。キリストにこそ希望がある。あなたがクリスチャンであれば、希望である。クリスチャンでない人にも希望はある。キリストはあなたの為にも死んで下さったからである。

死を通られた神である方が今も生きておられる。生きて、様々な形で働いておられる。まず、今日、今も生きておられるキリストに目を向けよう。下られた方を覚えよう。

あなたには希望がある。

見上げよ。

補足

実際にキリストを見るということはどういう事なのか、私たちが見るにふさわしいキリストはどういう方なのか、追々書いていければと思っています。




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