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平家物語と近江路1

仕事での休憩時間が結構長く、スマホを見るわけでもない私は新書か文庫サイズの本を仕事場に持ち込んで少しづつ読んでいます。
今読んでいるのはこちら。

木曽義仲はその最期を近江粟津の浜で迎えており、墓所も大津市の義仲寺にあります。
滋賀県に関することならとりあえずいっちょ嚙んでおきたい私は発売当時にJR石山駅の本屋さんで購入していました。
まだ読んでない、手ごろな厚さの、手元にあった本がたまたまこれだけだったので、大河は特に関係ありませんがこのタイミングです。

滋賀県は東日本から見ると京都に入るのに避けて通れない位置にあり、特に京都に都があった時期は戦乱に巻き込まれがちです。
なので平家物語に出てくるエピソードの舞台になってる場所も多く、それがそのままお能の謡曲になってたりもします。
滋賀県には国道1号線と8号線という日本の大動脈ともいえる道路が通り、その1号線は江戸時代に東海道として整備された道、8号線は中山道、古くは東山道(とうざんどう)として多くの人馬が行き交った道でした。
特に歴史の古い東山道を辿る国道8号線には、平家物語の伝承も多く伝わります。
ぶっちゃけ現在8号線が自分の通勤道路になっているため、毎日読んでる個所とシンクロするのでこういう記事を書いてみようと思った次第です。

中学生男子に斬られて塚を作られた男

8号線からは逸れますがまさに旧中山道、東山道の宿場だった守山には、平治の乱からの敗走途中に父親とはぐれ単騎宿場入りした13歳の源頼朝が、自分の首を取ろうと襲ってきた男を髭切という名刀で一刀両断にしたという逸話があります。
そしてその時斬られた源内という男が不憫だと作られたのが「源内塚」。
そんなもん作られて後年まで語り継がれるのもけっこうな罰ゲームだと思いますが、今も守山の旧街道に残っています。

説明板
お堂の中の伺い石
旧街道沿い守山宿にあります

首と胴体を分けて埋葬された平家最後の生き残り

平宗盛の胴塚というものが、国道8号線、野洲市篠原というところにあります。
国道を走っていると毎日のように看板をみますが、実際に立ち入る人はそう多くないのではないかと思います。
以下、2016年2月の雨の日に訪れた時に撮影したものです。
現在はもっときれいになってて分かりやすいのぼりなども立っていますが、かつての寂れてもの悲しい雰囲気も残しておきたいと思ってあえてそちらを載せておきます。写真ブレブレですみません。

山の手に続くさみしい場所です

平家最後の首領となった宗盛は武士としての評価はさんざんですが、実務家、父親としての能力や人格は評価されているようです。
平家最後の地がこんな場所になってしまったのも、壇ノ浦から生き延びてしまったがゆえなのかと思います。
子煩悩で息子の清宗とともに埋葬されることを熱望したため、憐れんで胴は一緒に埋葬されたといいますが、息子の清宗の胴塚はここからけっこう離れた現在の南草津の旧街道沿いにあります。

これらは2018年10月に、宅建の試験を受けに行った立命館大学から徒歩で下ってきた時に偶然見つけて撮影したものです。ちなみに試験は不合格でしたが勉強は楽しかったです。初任者研修と同時進行だったので、と言い訳しておく。
一般の民家の敷地内にあるということで、所有者のご厚意でこのように表示されているようです。
南草津が最寄だったんですが、旧道に入ってしまったせいで旧街道沿いに進んだ挙句、結局草津駅まで歩いてしまいました。

余談になりますが草津とはかつて東海道と中山道が合流する交通の要所、京都に入る前の大きな宿場町だったところです。群馬の草津と同じ字と読みですが、「くさつ」というのは文字通り硫黄のにおいなどの「くさ」が語源になってることもあり、由来から違うのかもしれません。
ちなみにこの滋賀県の宿場町の草津駅前の商店街にも、昭和の終わりごろまで「草津温泉」という名前の銭湯がありました笑。
ともあれ街道のほかにも矢橋という港もあった草津は、古くから交通の要所であったため、多くの歴史を見送ってきた地であるともいえます。

源義経元服の地

先述の平宗盛は義経の責任の元処刑されたわけですが、大変皮肉なことにその義経の元服の地というものが、宗盛の胴塚から1キロ程度離れた8号線沿いにあります。
こちらは蒲生郡竜王町に位置し、「鏡の里 道の駅竜王」の8号線を挟んだ向かいにあり大変きれいに整備されています。

どうでもいいけど蒲生郡竜王町鏡(がもうぐんりゅうおうちょうかがみ)ってとても華やかな地名だと思うんですがどうでしょう。
郡の市政化や合併などによって旧郡名や地名が消えうせる場所が多いですが、こういう地名はぜひなくさないでほしいです。
特にこの「鏡」は額田王の出身地ともされ古い歴史を持つ場所なので、安易な改名はぜひしないでほしいです。

こちらも2016年3月に撮影したものです。
このころ家の仕事の手伝いに東近江に頻繁に出向いており、早く帰れた日はついでに史跡などを訪ねていました。なので、このころ撮影した史跡などの写真はたくさんあり、当時とは姿を変えてしまった場所も多いので我ながらよい記録なのではないかと思っています。

この鏡は宿場町だったそうで、現在でも味わい深い家並みが残されています。道の駅の目と鼻の先にある星ヶ峰(これもきれいな名前です)には西光寺という寺院があったとされ、鎌倉~室町時代は将軍などの宿陣とされてきたそうです。

星ヶ峰遠景

ちなみに道の駅竜王は夜間でも駐車場を開放しており、無人ドライブインのようになっています。トイレや自動販売機は利用可能なので、トラックなどが休憩に使っておられるようです。
周囲は山なので、注意すべきは野生動物です。

今回はこんな感じで。
次回は大津方面、主に木曽義仲関連の史跡を紹介できたらと思います。


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