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子供のころ住んでたいわゆる事故物件の記憶

大阪から現在住んでいる県に越してきたときに最初に住んだ家が、いわゆる事故物件でした。
父親は職人で、家で小さな工場をやるのにそこそこ大きな家を借りたのだそうなのですが、いわゆる田舎の昔の農家で、今思うと事故物件であったことを抜きにしても都会生まれの母親がよくここに住めたなあという家でした。現地の方の紹介によるものだそうですが、不動産屋がこんなとこ紹介したら大問題です。

どれほどよく住めたなあという家かというと、まずトイレは屋外にあります。農作業から帰った時に入りやすいようにだと思います。
そしてもちろん汲み取り式でした。
子供のころはこのトイレに行くのが二重の意味で本当に怖くて、夜中に行きたくなった日には親兄弟を起こして付いてきてもらったものです。
真冬とか一体どうしていたのか、当時としては珍しくなかったのもあるのか、よく我慢できたなあと思います。でも母も都会生まれ育ちとはいえ、実家は土間の台所に五右衛門風呂でした。さすがにのちにガス化しましたが私が小学校低学年の頃は薪で湯を沸かしていました。
そしてこの家も台所は土間です。靴を履いて行かなければなりません。食べるだけならまだしも、料理をするのも大変だったのではと思います。
今思えば竈もあったんじゃないかと思います。

ただ、家としては立派な作りでした。玄関から入ってすぐの土間は広く、立派なものでした。ふすまを外せば八畳間がつながり法事にちょうど良くなり、実際この家で亡くなった祖父の葬式もやりました。(事故物件というのはこの事ではないです)お風呂もさすがに給湯器はまだですが、すでにガス化していたと思います。
問題なのは二階です。
外から見たら三部屋あるはすでしたが端の一部屋は雨戸が閉まっており、中から見るとそこは壁になっており入れませんでした。中からでは部屋がある事もわかりません。
当時両親にはお世話になっていた仏教寺院の高僧がいらっしゃり、県外のそのお坊さんのお寺に家族で月一くらいで通っていた記憶があります。
そのお坊さんにその家を見ていただいたところ、首を吊って亡くなった女性が見えるといわれ、お祓いをしてくださったそうです。
事故物件のソースはそのお坊さんの証言だけですが、窓と出入口をふさいでいるだけでも十分事故物件でしょう。

古い家で台風の時に雨戸が外れ、風が入ると屋根が飛ぶからと母親と姉が夜中ずっと畳を返して抑えていたという話と先述のトイレの話が主に物理で怖かった記憶で、特に幽霊とかそういうので怖い思いをしたことはなかったと思います。お祓いしていただいたおかげか、父の工場も順調で新しい家を買い、そこはしばらく工場として使ったのち引き払い、取り壊されたあとは地主さんが住まわれているそうです。
私自身もあとは、TV見て笑ってたら一人だけおじいちゃんの死に目に会えなかったりはしましたが、なんやかんやで楽しく過ごしました。
怖いというよりは、一体どういう事情があってそんな事になってしまったのかなあということが気になってました。

引っ越し荷物の中、レコードプレーヤーのなかった我が家になぜか古いレコードがあって、てっきり父親のものだと思っていたら、なんとその借家にあったレコードでした。よく持ってきたなとは正直思いました。浪曲とかそういうものがほとんどでしたが、回転数が当時としても独特で変わったものでした。
なんとなく、亡くなった方のものだったのかなと感じました。
一体どんな人生を歩んで、なんで自ら命を絶つような事になってしまったのかな、先述のお坊さんによると精神を病んだ方だったという事でしたが、あの閉じられたお部屋にずっとおられたのかなとか、今になっていろいろ考えてしまいます。

実は母親の兄弟、私から見て伯父も若いころに心を病んで、実家にひきこもって一生を終えました。実家に遊びに行くとその伯父が、テレビのある部屋を回りながら歩いていて挨拶したらいつも優しく応えてくれました。

伯父は引きこもりとはいえ、扉はいつも開け放たれた開放感のある部屋で決して一人ではありませんでした。
かつてあの家で自ら命を絶ったといわれる見知らぬ方はどんな気持ちでおられたのだろうと、だから考えてしまうのかもしれません。

21.09.19 画像を追加。祖父の葬式の時のものですが、手前左がトイレです。右は無関係なお宅です。もう今は見る影もないのですが、当時を知る人が見たら分かるので色々と消しております。

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