見出し画像

1974年10月9日の球場探し 24.02.25

これは姉が幼稚園の頃に参加したイベントでの写真だそうです。
当時我が家は大阪市近郊にあり、幼稚園もそのあたりでした。
イベントそのものよりも、これが開催された球場がどこだったかを調べていました。

「49年10月9日パラバルーン」のメモ書きがあります。
お祭りの帽子をかぶってる人もいますが普通に傘さしてる人も多いですね。雨の日だったんでしょうか。
ナイター設備がかなり立派です、当時ならなおさらアマチュアの球場ではこうはいきません。プロですら日没ゲームセットになるところもあったのでは、むしろ日生がそうだったのでは…?
写真左が3塁ホーム側内野席、右が外野に続いているようです。内野フェンスは結構高いぞ…

49.10.9パラバルーンというメモ書きがありました。
パラバルーンという物自体私は知らなかったのですが、今も普通にあるもののようです。
で、この球場です。
ナイター設備が本格的なところを見ると、プロ野球で使われていた大阪近郊の球場だと思われました。
一番の候補は日生球場です。イベントで使われることも多かったし、当時の住居からもまあまあ近い立地でした。
ですが、日生は近鉄の準本拠地です。
写真に写っているのはたぶん内野からホーム側なのですが、南海地所やロッテの広告などがあるのは確認できるものの近鉄関係の広告はありません。
そしてネットで探して出てきた日生球場はもっとフェンスが低いです。
フェンスが低くて流し打ちのホームランなどというものまで出た球場にしては、内野席から外野に続くフェンスが高くなっています。

あと大阪近郊のプロ野球場というと、当時では西宮球場、大阪球場、藤井寺球場、そしてちょっと離れて甲子園です。
西宮球場は観客席が二段構えになっています。よって除外。
藤井寺は住宅街の中にあり普通に普通の建物が見えていますし、外野両翼に外から丸見えのブルペンを兼ねたラッキーゾーンがありました。なので藤井寺でもない。
甲子園ではないことは球場の外の建物を見れば分かります。甲子園は今でも球場内からはほとんど建物が見えません。

結果としては、これは南海ホークスが本拠地としていた大阪球場であると思われます。決め手は以下のページの写真です。

レフト側のロッテガムと毎日牛乳の広告がほぼ同じ状態であること、球場外に似た感じの建物が映り込んでいるのが特定の決定打となりました。ナイター時の写真を見ると、その建物はどうもボウリング場だったようですね。
母に確認して、私はその場所に行っていたのかなと言うと、思い出せなかった様子でした。それでふと、この観客席で撮った写真じゃないのかなというのが自分のアルバムにあったのを思い出し確認すると、「49.10.9こどもまつり大阪球場」というメモ書きがありました。
大阪一円から幼稚園生が集った大規模なお祭りだったようで、大阪球場なら各地からのアクセスも良く開催地として納得できます。

ちなみにこの年の南海ホークスは、当時前後期制だったパ・リーグで後期に2位でトータルで3位Aクラスだったようです。
前期優勝阪急ブレーブスと後期優勝ロッテオリオンズがプレーオフで優勝を争い、ロッテが優勝を決めたのが奇しくもこの1974年10月9日の事だったようですよ。
優勝を決めた試合の開催地が県営宮城球場だったそうですが、当時のロッテは川崎が本拠地というわけではなく、宮城を本拠地とするなど各地を放浪していた時代もあったそうなのでその時期だったようですね、日本シリーズのロッテ主催ゲームは後楽園でやってたようですし。
以下詳しく載っていましたので参考までに。
プロ野球、特にパにとってはいろいろと転換期の年だったようです。

日生かなと思っていたのがまさかの大阪球場で、日生は日生で写真が残っていたら面白いなと思いましたが、大阪球場は大阪球場でなかなかの収穫でした。行ったことがないと思ってたのがまさか年端もゆかぬころに行ってたとは…。
日生はアマチュア野球でもよく使われた球場ですが、母曰く、母が中学生のころやってたソフトボールの大会が藤井寺で開催されたとのことでした。
その写真は残念ながら残っていないようです。
ともあれ、今度なんばに行くことがあれば、立ち寄って感慨にふけってみたいと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?