私と猫6~関わった猫たちと飼い猫たち

子供のころ住んでた在所には外猫も野良猫も見ませんでしたが、現在の居住地に来たら、野良猫こそ見ませんでしたが外猫や多頭飼いは結構見ました。
地理上の事というより時代だったのかなと思います。今回はそんな外ねこさんたちやご縁に恵まれなかった子たち、また亡き子たちのエピソードを書きたいと思います。

私が猫嫌いになるきっかけの猫

現在の家に引っ越してきたとき、近所に外飼いのシャム猫がいました。
うちではまだ犬すら飼ってなかった頃です。
うちにもなんちゃってシャム猫はいましたが、そっちは正真正銘のシャムだったと思われ、そんな猫を外飼いするんだと驚いた覚えがあります。
でも調べたら、猫の青い目ってそんなにいないようなので、うちのなんちゃってシャムもほんとにシャムの血も入ってたのかもしれません。

そのシャム猫ですが、今思えばまだ若い猫だったのだと思いますが、好奇心が旺盛だったようであちこちに出没していました。うちの近所は大きな道路も当時はなく、猫が車に轢かれる心配はありませんでしたが、どっちかというと猫による人家への被害のほうが多かったです。夕食のおかずを持っていかれたとか、絵に描いたようなドラ猫エピソードもありました。

うちの場合、おかずを持っていかれたこともありましたが、大きな被害は不法侵入でした。
ある日当たり前のように二階まで上ってきて、踊り場にいるところを発見、猫はパニックになって逃げようとして出口を探してそこらじゅうの物をなぎ倒しながら走り回り、去った後は嵐の後のような有様でした。
さすがにこの件には腸煮えくり返り、飼い主の元に苦情を言いに行こうかと思いましたが、同様の苦情があったのかそれ以来外でその猫を見ることはなくなりました。
何にしても私はこれで猫が嫌いになったのです。

人懐こい年齢不詳の黒猫

かと思えば人懐こい外飼いの猫もいました。
近所を歩き回り、出会うとニャーンと鳴きながら足にすり寄ってきます。
猫は嫌いでしたがここまで人懐こいと無下にはできません。
多分本名は違ったと思うのですが真っ黒な猫だったので私たちは勝手に「ジジ」と呼んでいました。
このジジも実はうちに不法侵入していました。しかし彼の場合(メスだったかもしれない)開いてる窓からうちに入ってきて棚の荷物の中でスヤァとなっていた感じで、余裕すら感じさせる立ち居振る舞いでした。
のちにうちで犬を飼いだしてからは入ってこなくなったのですが、それからも相変わらず外で会うと挨拶してくれるまめな猫でした。
私は夜間の学校に通っていたので、夜遅く自転車で帰ってくると暗闇から黒猫が現れて足にすり寄ってくるので、びっくりするやら嬉しいやらでした。

そしてジジはその後、うちで猫を飼い出し、もう一匹増え、一匹死んだ後も相変わらず外で会うとあいさつしてくれました。一体何歳なんだろうと思ってるうちに見かけなくなりましたが、おそらくは20年以上生きたのではないかと思われる不思議な猫でした。

うちの猫たちのエピソード

うちの亡きねこたちのエピソードをひとつずつ。

白黒の最初のねこは本当に頭の良いねこで、頭も平均より大きかったと思います。猫の額って狭いものの象徴ですが、この白黒の猫は耳から目の間の額の部分がだだっぴろく平屋が建てられそうな広さでした。いやほんとに。
この子を拾ったときはすでに犬がいましたが、犬ともすぐ仲良くなりじゃれて遊ぶまでになりました。
しかしある日、押し入れに閉じこもって出てこなくなりました。
どうしたのかと様子を見に行くと、おなかに深い噛み傷があります。
猫同士の喧嘩ではケガしない場所なので、おそらくは犬が加減を間違えて深い傷を負わせてしまったのだと思われました。
ねこは苦しそうに鼻をスピスピいわせながらも
「あいつが悪いんやない、おれも調子に乗りすぎたんや、許したってくれ。ケガは自分で治すから心配するな。」
と言っているようでした。いやほんとに。
数日後ねこはちゃんと自力でケガを治し、それからも犬を恐れるような事もなく普通に過ごしました。多分本当にそう言ってたんだと信じています。

そしてシャムの女の子ですが、これがまあおバカな子でした。しかしバカな子ほどかわいいというか、実際見た目も性格もおバカをカバーして有り余る可愛さだったので、神様はうまいこと作るなあと感心したものです。
そんなおバカな子でしたが、狩りはめっちゃ上手でした。
しかしおバカだったので取ってくるものもおバカでした。
トカゲとかはまあ普通なんですが、一度蝉を捕ってきたことがありました。
やけに近いところで鳴いててちかっ!どこ!と思ったら台所のテーブルの下にいたのです。生きたままの蝉を捕ってくる手腕も見事なのですが勘弁してほしかったです。
他にもいろいろな小動物を取ってきてはうちに運んでくれました。
他はどんくさい猫でしたが、メスは狩りが上手いんでしょうかね。

可哀想なことをしたねこたち

これは思い出すのも辛いのですが、うちで飼えなかった二匹の捨て猫の話です。楽しい話ではないし、何なら胸糞悪い話かと思われるので嫌な方は飛ばしてください。私はこれを懺悔の意味を込めて記すのです。
一匹は雨の中保護した衰弱しきった子猫。
もう一匹は、うちの前に箱に入れて捨てられていた子猫でした。

雨の中捨てられていた子は、当時自営業だったうちで働いてくれていた若い女の子が拾ってきた子でした。とりあえずうちで面倒を見て、その子も猫が好きだったので元気になったら飼うと言ってくれていました。

しかし、残念ながらその子は亡くなってしまいました。
ガリガリにやせ細った体で、私の膝の上でゴロゴロ言いながら息絶えた後、その子の体から大量のノミが逃げてゆきました。
死というものの残酷さを目の当たりにし、私はこの姿を決して忘れないと思いました。なんでこんなに小さくて愛おしい子がこんな目に合わなきゃいけないんだろうなと、せめて最後はうちのねことして葬ろうと庭の片隅に埋めさせてもらいました。今気が付きましたがその子に名前をつけていませんでした。グレーと白のぶち柄のねこだったのでそれにちなんだ名前を考えようと思います。

うちの前に捨てられていたねこは、茶トラのかわいい猫でした。
飼ってあげたいのはやまやまでしたが当時は経済的に大変な時期で、もう一匹猫を飼えるような余裕はありませんでしたし、寝る間もなく働いていたので里親を探す時間もありませんし面倒もとても見れません。
やむなく、近隣の小学校まで再び捨てにゆきました。

涸れた声でニャーとなくのを押さえて箱のふたを閉めて、逃げるようにその場を去ってからも小さい頭の感触が手に残り、情けなくて申し訳なくて罪悪感で泣きながら家に帰りました。
この子のことは、亡くなった子以上に思い出すたび苦しくなります。
今となってはもう少しやりようがあったと思われると思いますが、これも25年ほど前のことで、今ほど保護活動が盛んではなかったのです。
捨て猫ばかりを保護してきた我が家でしたが自らねこを捨ててしまった、捨てざるを得なかったのは大きな後悔となって残っています。
もう二度とあんな事はしたくないし、あんな気持ちを味わいたくありません。

捨て猫をした人を、なんでこんなことができるのか、人間じゃないと怒る人もたくさんいます。そう言われても仕方ないとは思いますが、捨てた人もおそらくは地獄の苦しみを味わっていると思います。それをもって許されるとは思いませんが、平気でそんな事をできる人間の方がきっと少ないのだとは知ってほしいと思います。

猫との思い出は、楽しいことと悲しかったこと苦しかったことが混在しています。私はそもそも猫が好きなわけではなかったし、自分の為というより猫の生を全うさせてもらうために、そこから何かを学ぶために一緒に暮らしているのだと思っています。

他にもいろいろありますがまたの機会に。
猫の話はひとまずおしまいです。
楽しい話ばかりではなく申し訳なかったですが、お付き合いいただいた方ありがとうございました。
飼ってた動物に関しては犬とか金魚とかの話もあるので、それもまた書きたいと思います。

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