母親の入院遍歴と現在~その8(完)

本当はもう一回くらい書くつもりでしたが思いがけず完結です。
長くなってしまって申し訳ないです。

電車で転倒してしりもちをつく

6月の半ば、夜、家族が電車で帰ってきた母を駅まで迎えに行くと、車いすで駅員さんに押されながら出てきたそうです。
何があったのか聞くと、普段降りない駅に用事があって降りて、そこは普段の駅とホームの高さが違ったため、電車に乗った直後にバランスを崩し、発車のタイミングでしりもちをついてしまったそうです。
おしりから落ちるのは一番安全なはずなのですが、母の場合は体重が重すぎて、かつ片マヒが残っていたので受け身が取れず、結果から言うと臀部の骨が折れてしまいました。どんだけ重かったんだと。
異変に気が付いた乗客の方がSOSボタンを押してくださり、乗務員さんに把握されましたが、とりあえず最寄りの駅まで戻ってきたのだそうです。
その時は母もまさか折れているとは思わなかったようで、夜間もやっている病院に連れて行ってほしいと迎えに行った家族に言ったそうなのですが、車いすなしでは自動車への移乗もままならない状態だったのでこの時点で救急車を呼ぶべきでした。
向かった先の総合病院には神経内科の先生しかおらず話にならず、ここでもなぜか救急指定の総合病院に向かわず家に帰ってくる羽目になるのですが、自宅ではそれでなくとも重い母を、自力で動けない状態で二人で抱えて運ぶのは困難を極めました。玄関の段差をどうしても超えられず母は痛みのあまり失神し、ここで3人で死ぬかと思いました。
とりあえずベッドに寝かせることができて一段落つきましたが、どう考えても打ち身どころではない痛がり方で尋常ではなく、例によってネット検索してたどり着いた結果は間違いなく骨折という結論でした。
とても自分たちだけで母を運べないという理由で翌朝に救急車を呼び、私は仕事を休まざるを得ず、またまた母の入院生活がはじまってしまったのです。

臀部の骨折で一か月は寝たきりに

入院したのは、最初の交通事故で入院したのと一応は同じ病院ですが、時を経て移転&リニューアルしていました。見晴らしのいい場所にあるキレイな病院でしたがそんなことを言ってる場合ではありません。
診断は臀部の骨折、一か月はベッドから起き上がることはできず絶対安静です。
父も亡くなりいよいよお店も回らなくなり、事態は今までで一番深刻なはずでしたが、私自身はこの入院が一番気が楽でした。
入院治療費はもちろん自前で大変なのは同じでしたが、今回は借金もなかったし交通事故の被害者よりはずっと気持ちが軽かったし何よりも命に関わるようなケガではなかったし、入院により怪我だけでなく全身の健康状態もチェックしていただけたし、家にいるよりも余程安心です。
そりゃ寝たきりのリスクもありましたが、開き直りもあったのか、ただ慣れてしまったのか、前向きにならざるを得なかったのか、とりあえず私は気楽でした。お見舞いに通いつつ病院の食堂や売店や、周辺のお店などをチェックしてそれなりに楽しくやっていました。

そしてこの事故でも保険には大変お世話になりました。
たいていの人が使わずに済むようなクレジットカードについてる交通事故の保険まで使いました。父と二人で入っていたのがそのまま掛かっていたそうで、電車は駅のホームの転倒事故でも交通事故になるのだそうです。本当に母ほど保険の掛け金のもとをとっている人はいないんではないかと思います。保険会社には災難なことです。
ちなみに車の中で亡くなった父は対象外でした。無理だろうとは思ったけどあちらが聞いてくださったから言ってみただけですよ。
生命保険では入院やお見舞い金として降りるお金がありますが、交通事故が一番補償額が大きいです。次が病気で、一番補償額が低いのが自損のケガです。自分の注意でどうにもならない順って考えるといいんですかね。
その順番でひととおり経験する羽目になるとは思いませんでしたが。

この入院で学んだこと

母がと言うより私が学んだことになるのですが、この入院では母にケアマネージャーさんがつくことになりました。脳梗塞の時にもついてくださっていましたが、日常生活がそのままリハビリになる好循環で要支援1にまでなり、介護保険を使うことがほぼなかったのです。
母は最初の交通事故で障害者手帳を持っていましたが、65歳以上、あるいは特定疾患になれば介護保険が優先されます。臀部の骨折ということで日常生活に支障が出る可能性が大きいので、家の改装なども視野に入れてついてくださったのだと思います。私自身も家族も含めた支援のための会議などにも出席しました。
また、入院していたのがリハビリ病棟で、中には認知症の患者さんもおられ、歩行器で自由自在に走り回りエレベーターで勝手に1Fまで行ってしまって看護師さんが追いかける光景も日常茶飯事でした。
これが、私が介護に興味を持つきっかけになりました。
他の事からでも介護という仕事に興味は持っており、当時は現実に仕事にする事は考えていませんでしたが、いずれ自分にとっても他人ごとではなくなるかもしれないと実感させられたのです。
そして数年後に私は実際に介護の仕事に就く事になるのですが、(そして1年ちょっとでやめたのですが)その大きなきっかけとしてこの入院の事が思い出されるのです。

なお、この入院で一番大変だったのは家の掃除です。
母の退院に伴い、ケアマネさんが家を見に来るとおっしゃるのです。
父の葬式などでも必死で掃除したので目につくところはそこそこキレイではありましたが家中見られるとなると大変です。
仕事と母の見舞いと、空いた時間で大掃除の日々を送りました。
大変ではありましたがああいうことでもなければあそこまでの大掃除もできなかっただろうし、結果的にはよかったんじゃないかと思っています。

退院

そして母は例によって、早く仕事に戻らなければならないという使命感によりみるみる回復し、寝たきりの心配をしていたのがウソのように2か月後の8月中旬には退院しました。私の大掃除のペースを上げざるを得なかったのでほんとはもっと入院してても良かったのですが、お店でトラブルがあったので早く復帰せざるを得なかったのです。
私などは怠け者で、できたら働きたくないと思ってしまうので本当に母には頭が下がるのですが、人それぞれに大事なものというのはあり、それが母にとっては仕事だったということです。
私にだって仕事でないにしろ生きていくうえで大事なものはあります。

そしてこれ以上よくならないと断言された右手は、現在は軽くものをつかんだりできるまでに回復しました。手を使う仕事だったのもあり、大変良いリハビリになったようです。日常生活動作がどれだけ人間にとって重要なのかがよくわかります。

お店は今現在は畳んでしまっています。
母は通院と大量の服薬は欠かせないものの健康状態に異変はなく普通に暮らして、友達を多く作り人脈を広げ、小さく商売をしながら楽しそうにやっています。
どんな状況でも自分次第で楽しく生きて行ける事を、母は体現してくれていると思います。そして家で自分らしく暮らすことの大切さを。
私自身が介護施設で働いて色々見たからこそ、その大切さが骨身にしみます。

事故や病気は、その時見つめるべき事象があって起こるものなのかもしれないし、私にとっては次の段階を示唆されるような出来事でもありました。
またいつ災難に見舞われるか分かりませんが、その事を肝に銘じて立ち向かってゆけたらと思っています。
以上をもって本記事を締めたいと思います。
お付き合いありがとうございました。

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