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因果応報 24.05.12
私は割と執念深い性格なので、いやなことをされたらいつまでも覚えています。でも嫌なことをした人自体を赦せないということはなく、その人と離れられたらそれでいい感じです。でも出来事そのものはいつまでも覚えてしまっていて唐突に思い出して腹が立ったりします。
キリスト教では罪の赦しというのはとても大事な事ですが、罪を赦すというのがどういう事かというと、「そのことを忘れて二度と思い出さない」という事だそうです。
そう思うと私は何にも誰も赦せてないんだなと思います。仕方ないね。迷える小羊たる人間だからね。
私は子供のころから鈍い方だったので、いじめられた事はあるかもしれませんが気がついていませんでした。意地悪な事をする人がいても、性格悪い人だなとか、むしろ意地悪をされるのは私に悪いところがあるからだろうと思っていました。実際私は自覚なしに人を傷つけたこともあると思うので、それこそ因果応報です。逆に清算できてありがたいです。
今まで生きてきて、嫌だったり悲しかったりする目に会うことも多かったし、その時かかわった人たちの顔もやっぱり浮かんできます。
でもその人たちには幸せでいてほしいです。
私は自分が人を不幸にすると思っているので、私が離れることで幸せになってほしいと思っています。書いてて思い出しましたが、私はかなり前からそんな風に思って生きていました。なんでかはよくわかりませんが、いくつか小さいことが重なってそう思うに至ったのだと思います。
まあでも、私は一人の方が幸せですし、好だった人も嫌だった人も、私と関わったことのある人すべてに幸せになってほしいと思っています。
それぞれの場所でそれぞれに相応しく。
因果応報というものについて考えていてふと思った事でした。
この記事を読んでくださった方にも幸あれ。
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