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夜の住人 22.02.06

タイトル画像は学生の頃描いた絵本の冒頭で「おおきなひかりを見たかったラッセ」というお話です。
太陽の昇らない世界で、小さなろうそくの光だけを頼りに、ささやかだけど幸せに暮らす、ラッセという男の子が主人公です。
スウェーデンの民話を題材にしており、ラッセという名前はスウェーデンの映画監督ラッセ・ハルストレムからお借りしました。
記事を書いてて思い出したのでHDからサルベージしました。

私は高校を出てから夜間の学校に通い、仕事も夜勤の時期がありました。
職場や駅まで自転車で行き来して、冬はオリオン座を、夏はマツヨイグサ(月見草)が咲くのを見て季節を知り、田舎の暗い夜道を月や星空を見上げながら帰りました。

日勤になったときは大体朝日を浴びながら出勤して、夕日に照らされながら帰りました。私には太陽は眩しすぎると思いました。

夜学や夜勤は、物理的に夜という以外にも一風変わった人々や事情のある人々が多く、ある意味闇の世界でもありました。
世の中には、夜、月明りの下でしか見えないものがあるのだと思いました。
同時に弱いもの同士が寄り添い思いやりあえる、あたたかさもありました。
その時に私は、月明かりの中の、そんな弱く優しいものたちのために生きたいと思いました。
介護の世界に興味を持ったのはそれもあったのだと思います。
世の中での役目を終えた、弱い人たちの助けになりたいという思いもたしかにありました。

本日母親のワクチン接種のため、接種会場へ行きました。
会場にはご家族や、施設職員らしき人に付き添いされた高齢者も多くみられました。
母を待つ間、それを何気なく眺めていて、杖をついて歩く方、足を引きずって歩く方、車いすの方もいれば、背筋をしゃんと伸ばして颯爽と歩く方など様々な高齢者の方がおられるのだなあと思いました。
そんな中私は、高齢者に付き添いされたご家族に目が行ってしまいました。付き添って歩くときに背中を押してしまってる方、椅子から立ち上がらせるのに腕を掴んで引っ張ってしまってる方、エレベーターで降りる方が出てくる前に車いすで前から突っ込もうとしてしまってる方など見て、ついハラハラしてしまいました。介護職も一年ちょっとくらいしかやってない私が偉そうにと自嘲してしまったのですが、無意識に、こういう状況では何に気を付けなければいけないかを考えていたりもして、学んだ知識と現場で得た経験はやっぱり身になってるんだなあと思いました。

介護職は、決して嫌いではありませんでした。
状況が許したなら今も最初の施設に勤めていたかもしれません。
自分の資質に疑問があったのと、何よりも風邪をひきやすく体力がないので、病気を持ち込んだり体を壊して休みがちになりそうなので断念したのです。

介護職を始めたときは、私はこれからこの世界でずっと生きてゆくんだろうと思いました。社会の片隅、なかなか表立っては出てこない世界で、わたしの助けを必要としてくれる人の中で寄り添って生きてゆくのだろうと。
しかしそれは思いがけず早く終わりました。

今も、利用者様のことは忘れられません。
亡くなった方も、今もご健在の方もおられます。
素晴らしい人格者の方も、とんでもない意地悪な方もおられました。
しかし、あの方たちは決して夜の住民などではなく、明るい日の当たる世界で豊かに生きてこられた方でした。
そんな方たちのお手伝いをさせていただいて、自分は人に与えられるほどの豊かさを持ち合わせていないと感じました。
与えるには自分を満たさないといけない、私は人のお世話でそれを満たす前に、もっとやることがあるのでは、と。
これも、自分が不用意に介護職に戻るべきでないと思う理由の一つです。

絵本のラストです。
太陽の上らなかった世界に、ラッセの持っていた唯一の光のろうそくが太陽となって輝き、ラッセは光の国の住人になりました。
この絵本は学校の進級制作で作ったもので、まさに冒頭書いていたような夜の通学時に感じた事から生まれたものでした。
絵本丸ごと上げようと思ったんですが、アナログだったのを無理やりスキャンしていたので文字入れのないものもあり断念しました。

私は何で自分を満たすべきなのだろうかと、それを今も考えています。
夜の心地よい世界から抜け出して、太陽の光を浴びなければいけない。
でも太陽の光が私にもたらすものは一体何なのだろうと。
そもそも私にとっての太陽とは、いったい何なのだろうと。

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