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TEN YEARS AFTER TEN YERS AFTER &TEN YERS AFTER その4

カメラマン・神山均(キンさん)は、1980年代からフォトグラファーとしてアメリカ大陸、アフリカ大陸、南米を駆け巡めぐり、自由に写真を撮り続けた。

キンさんは、初めてアフリカの地を訪れた。それまで勤めていた会社を辞めて自費での旅だった。目的はアフリカ大陸を見ること。そして、その頃、世界でも名前が知られるようになったダカールラリーの撮影を兼ねての旅だった。

アフリカ編

パリダカールラリーの話・その3

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ー当時キンさんが撮影した写真を見ながら、その写真にまつわる話を色々と聞いていみたいと思います。さっそく、縦構図のこの写真。中心より下側に小さくバイクが一台走って行くという、スケール感のある構図ですね。岩がゴツゴツとした感じが砂漠というより、がれ場のようにも見えますね。

k「この写真はね、アルジェリアからニジェールに渡る国境あたりで撮った。この山の向こう側に、昔からある歴史的な遺跡エネディ山地があるところ。パリをスタートしてから4日目ぐらいの所」だと思う。

アルジェリアは、ラリ-が、パリからスタ-トし、地中海を渡って到着するアフリカ大陸の入り口だった。北アフリカに位置するアルジェリアは、国土の大半をサハラ砂漠が占めるが、地中海沿岸は雨量もあり樹木や草原が広がる。


ーここに至るまでの数日間っていうのは、どんな感じなの?
k「チェニジアとかアルジェリアはオリーブが茂っていたり、舗装されているし、ハイウェイもある。ちょいとばかり隣国のリビアを通過した時なんかは、
`そんな道に戦車のあとがあるな`と思っていたら突然カダフィが乗っている車列に出くわしたりた笑。その装甲車列には、機関銃積んで兵隊が乗っていたり。


ーこの写真って結構石が多いいじゃない?
k「そこなんだよ、これってほとんど瓦礫、土漠だけど、これを見たときの驚きっていうのがその当時、日本人の僕にとってあるわけよ。サハラ砂漠に入りますって1日中走って、朝起きてもまだ瓦礫の山なわけよ。
それで、その日はずーっと瓦礫道の山越えをするのよ。なんだサハラじゃないのかよ。月の砂漠はどこに行ったって感じで」
k「ここから東にいくと、いよいよテレーネ砂漠に入るわけよ。テレーネの砂は片栗粉みたいな感触で色は、真っ赤な砂なんだ」


ーじゃあここが砂漠に入る前のある種の拠点ですね
k「そう、この写真は、ラリーにおいての一つの山場なわけ。一番むずかしいコースなわけ」


ーなるほど、砂漠でも砂地とは、違うわけだ。
k「砂漠はある意味、先行車両の轍を追って走っていればいいのよ。でもテレーネは瓦礫だらけ。で、バイクなんかはポンってジャンプした先が何もない崖だったりする。」

k「ミシュランの特注のこんなキャラメルタイヤが簡単にバーストすんだよ。昔、海だったんだろうね。トンがった石ばっかり、オイルパンに穴が空いたり」

k「あと、うまく出来てるのが、心(コース設定)の作り方がうまいの。ここに来るまでは、ただのフラットな土漠をひたすら走ってくるんだけど、あまりに快適だから逆に不安になる。こんなに廻しちゃって、クラッチいちゃわないか?とか…」


ーなるほどメンタル弱いやつがねーどんどん弱いやつは落ちていく
k「そう。メンタル弱いやつを振り落とすためのスペシャルステージなわけ。そこで精神的に弱いやつとテクニックのないやつは出てこれなくなる。どんどんふるいに掛けられて」

ースタックしたり走行不能になったマシンはどうするの?
 k「基本的に砂漠に放置してはいけない決まり。後続から回収するトラックが来る時もあるけど、回収できない時はレースのあと自主回収しなきゃならないよ、でもまた後日その場所に回収に行けって言っても無理だから、途中でバイク燃やしちゃうやつもいる」

ーあと食べ物とかは?
k「そう。ここらで食べ物も変わってくるのよ。それまでのヨーロッパ風の食べ物から、イスラムアフリカ風っていうかナツメヤシなんかに変わってきて、天日で乾燥させてるだけだから、食うとウエッて虫が入ってたりして…」
「ここ辿りつくまでが第一関門なんだよね」

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アフリカ編、パリダカールラリー・その4に続く…。

  written by J.Watanabe

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