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バンドマンがコロナ禍でもライブを続けていこうと思った話

いつも僕のnoteを読んでる方すみません。
今回はちょっと真面目とゆうか、最近強く思う事を整理する為に書き殴らせてもらいます。


あ、本当に僕を知らない方の為に一応書いとかないと何の話をしてるかわかりづらいかなって事だけ先に書いておきます。

僕はあるインディーズのバンドをやってまして、そのバンドも今年18年目になります。結成から毎年日本全国を車一台で回ってライブをしていました。それが生業って訳では無いのですが、ライフワークであり生き甲斐の37歳男性です。

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昨年三月。皆さんご存知の事情により皆さんがご存知でない僕等のバンドは20本以上を予定した全国ツアーの殆どを中止または延期にせざるを得ない状況になりました。


突然向こう数ヶ月の予定がなく無くなった僕等はフラストレーションと不安を拭う為に、本来ライブだった日に急遽レコーディングを行いました。



そこで録音した曲をその日のうちにデジタル販売して、その利益をすべて本来ライブで行くはずだったライブハウスに寄付しました。

※その辺の話し詳しく知りたい人はプロフィール欄にある僕のブログを遡るか。Twitterで「riddle 支援活動」とかでエゴサしてみてください。

現実にライブハウスという場所が受けた風評被害。そこから産まれる損害から観れば本当に微々たる額です。雀に涙ではなく火山にスポイトって感じの。


それでも僕達は多少なりの達成感と「微力でも自分達の役目を果たせた」って満足感を感じていました。

あれから夏が過ぎ、冬が来ました。
皆さん知っての通り状況は良くなるどころか悪化していってます。

僕達は昨年の6月からライブ活動を再開させました。本来の収容人数の30%以下に抑えた状態で、マスクをして声を我慢して、本来のライブハウスとの空気のギャップに戸惑うお客さんの前でライブを繰り返しました。


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「この状況で人を集める行為がどのような事かわかってるのか?」
「バンドマンはやはり常識が無い。」

そう言った声も沢山聞きました。
それでもライブを止めてはいけないと思っていたし、今も思っています。

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先述したように収容人数を制限したライブハウスで生み出せる利益は通常の30%以下です。
でも「やらなければゼロ」って事だけは解っています。

ライブハウスの為のヒーローにでもなったつもりか?と思う方もいるかもしれませんが、

さっき言った支援活動をした直後は少しだけヒーローになったような気持ちだったかもしれません。

でもその後ライブ活動を再開して感じることは悔しさと挫折感と情けなさに満ち溢れてます。

もっと何か出来ないのか。どうしてお客さんにあれをするなこれをやるなと言わなければいけないのか。葛藤しまくってたし「これは間違ってるんじゃないか?」って気持ちに振れる事も何度もありました。

それでもステージに立っている間は本当に天にも昇る気持ちで、マスクの上からでも解るくらい楽しんでいるお客さん、ライブハウスのスタッフさんを観ていると心底「ここに帰ってこれて良かった」と思うんです。その瞬間は。

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また日常に戻って仕事をしていたりニュースを見ていたりすると、「本当にライブやっていいのだろうか」とまた気持ちが振れる。その繰り返しです。

「僕が今感染していたらさっきコンビニで僕とすれ違ったお婆さんは大丈夫なのか?」こんな事を思った数分後にライブの予定を書いたタイムツリーを、見つめてはその日を想像してニヤニヤしてます。


ああ矛盾してるのかなって思ったりしますけど、だからといって自分が全てをシャットアウトしていつか来る日を待つなんて出来ない事も解ってる。

矛盾してる事は承知の上。

どうあがいても知らなかった頃には戻れない。

駆け出しの頃に、お客さんが数人のライブをした後に朝まで打ち上げして、「お前ら今日どこで寝るんだ。車で寝る気ならうちに来いよ」と言ってくれた人。

「本当は利益なんて少ないけど、お前らが良い演奏したから少しだけ色つけといたよ。ガソリン満タンにして帰れよ」って言って封筒を渡してくれた人。

「田舎で音楽やダンスがやりたい子供達が遊べる場所が無かったから滅茶苦茶借金してこのライブハウス建てたんだよ」と言ってた人。

「ずっとずっと音楽に関わる仕事がしたくて、10年かけてようやくここにこれました」って人。

「お金無いからチャリで2時間漕いで来ました!ライブ楽しみです」って言ってた男の子

「貴方のライブで出逢った人と結婚する事になりました。子供が幼稚園に入ったらまたライブ行くんで絶対その日まで続けてください」って言ってた姉ちゃん。

「最初は観てる立場でしたけど、あれからバンド組んで今こうして共演出来てるなんて!」って言ってた幼さの残る顔のバンドマン。

17年間でどれくらいの汗を染み込ませたか解らないあの小さなステージ。あの大きなステージ。あの田舎のステージ。あの都会のステージ。

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知らなかった頃には戻れないんです。


ある人は仕事を失って、家賃すら払えない状態で。
それでも皆の帰りを待って歯を食いしばってる。
街の文化の為に無くしちゃいけない場所だからって。ここが無くなったらこの街の夢を持った若者はどうすればいいんだって。


ある人は何年もかけて夢が叶ったのに今は日雇いのバイトをしてまたその夢の叶って場所に戻れる事を祈ってる。

誰かが楽しみを失って、誰かが生き甲斐を失って、誰かが目標を失って。

誰かが、もしかしたら何年後かに何万人の前で歌うはずだった誰かが、チャンスや出逢いを逃してその夢を諦めようとしてる。


それを知らない頃には戻れないので、やる事で出逢った方が1人でも、少しでも「ああもう少し頑張ってみよっかな」って思ってくれるうちは。

矛盾したまま、葛藤したまま、やれる事をやります。

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言いたい事は今そこに直接的に協力しろって事でもないし、ライブハウスにおいでよって事でもなくて、

これを読んでる人の街にもそういう場所や人が絶対にいるって事を頭の片隅にでも置いて欲しいって思ってます。

ライブハウスはウイルス産む場所じゃない。


明日は大阪でライブです。

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8時間かけて大阪へ向かい、たっぷり演奏をして、また8時間かけて埼玉に帰ります。

こうやって書くと本当に凄い頭悪いな

今の大阪の状況、来たくても来れない人達からの声、思えばやらない理由なんていくつもあったけど。

やらなければゼロ。やらなければ何も戻って来ない。僕達の愛した日常なんて戻ってこない。

俺らが演奏する事で一人でも

明日からの生活を頑張れる人がいたり、
「またライブハウスに行けるように絶対に感染しないように注意して生活しよう」って思う人がいたら、

本当に嬉しい。

 胸張ってやっていきます。




ありがとうございます。励みになります。よければブログもどうぞ。http://blog.livedoor.jp/riddle0929/ バンドもやってるのでそちらも宜しくお願いします。http://riddle-web.com/