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20代って言う美しい呪い

僕 けっこう普段から人のライブ観に行く方のバンドマンなんですけど、自然20代とかのバンドマンとかと知り合ったり話す機会も結構あってですね。

それで結構よく聞かれるのが

「40超えてバンドやるとか想像つかない」

ってトピックなんですよね。(筆者満40)

それでフッと思い出したのが、自分も若い頃同じ事を思っていたんだろうなって。


そもそも人間の脳の造りの話になってくるかもしれないんですけど、20代と40代で同じ捉えかたって絶対に出来ないと思うんですよ。

だから多分言葉で説明しても、この子達に僕の脳内って上手く伝わらないだろうなって思ってすぐ「そんな事よりサメの話ししようぜ」ってなっちゃうんですけどね。

最近自身のバンドでお客さんから投票してもらってセットリストを決めるライブってのを企画して、それが3/2に控えてるんです(宣伝)

みんな来てください



その結果20代の時に 作って録って演奏していた曲なんかを今この歳で演奏する事になって日夜半泣きで練習しているとやっぱり当時の事だったりを思い出す機会が増えるので、いいタイミングだし、自分の考え方や捉え方がどう変化していったかを何となく記しておきたくなりました。


つっても僕がバンド始めた頃と今じゃ全てが違うと言っても過言じゃないので、伝わり辛い部分も出てくると思います。そこはなんとか頑張りますので一読していただけたら幸いです。


サブスクやSNSやYOUTUBE、果てはETCなんかがまだ無かった頃の話に遡ります。

17歳。夢沢山持ってバンドを始めた



その頃のバンド活動って「こうじゃなきゃいけない」って事がうじゃうじゃあった記憶です。

ライブは月に何本やんなきゃ、週に3回以上スタジオに入らなきゃ、ツアーは40本以上。

他にも沢山あったけど、それをクリアしないと「バンドマン」として見て貰えないみたいな空気は確かにありました。

もし若い人が読んだらゾッとするかもですけど、平たく言うと「フルベットしているかどうか」ってのが音楽性とかクオリティ以前に重要だった気がします。

そんな20歳そこそこのガキがバンドに全てをフルベットするとどうなるかって言うと、
「財布にお札が一枚でも入っていれば機嫌がとても良い」みたいな精神状態になります。コレマジで。

ライブに次ぐライブで声も出ない眠れてない。そんな状況でステージに上がってお客さんが全く居ない。 

でも確かにそれでも楽しかったし充実を感じでいたのが不思議です。「俺今バンドやってるな」って自己陶酔に近いもんだと思ってます。

きっと当時からクレバーに打算的にやれてた人達もいたと思うんですけど、一瞬でも余計な事考えたら全てが崩れていってしまうのが怖くて考えないようにしてたのもありますね笑

そんな中でも目にかけてくれたり可愛がってくれたりするバンドやライブハウスが出来て、それなりに埼玉の一若手メロコアバンドとして、「RIDDLE?知ってるよ」って言って貰えるようにはなった。

そんなこんなでレーベルに入る事になって、今まで出逢って来たライブハウスの人達とは全く違う角度でアドバイスをくれる人達ってのが出来たあたりで色々とショックも受けました。

「こうゆう層にもアピール出来ると思うからこういう事をやってみるのはどうか」

「こうゆうシーンが今とても盛り上がってるからこのバンドと一緒にやってみないか」

「普段着ないと思うけどこうゆう服を着て撮影をしないか」

その全てが今思えばめちゃくちゃ有難いアドバイスだし「CDを売る会社」「エンターテイメント産業」として絶対に避けて通れないトピックだったのは一目瞭然。

それでもその一つ一つに「わかりません!」「やりたくありません!」って悶々としてたの今思うとめちゃくちゃヤバいな…

極論を言うと「貴方達の価値観で測ると僕の憧れた先輩達っての全然価値が無いって事になっちゃうじゃないですか!!」って思っていたんじゃないかなと。


「打算を期待して起こすアクション」に対しての嫌悪感はなかなか拭えなかった。

箸にも棒にもかからなかった自分達を無償の愛でフックアップしてくれた色んな街の先輩達の顔が浮かんだ。

皆んなが皆んなそうなってしまったら、数字を重視してしまったら僕達みたいな地方で「良い音楽さえやってればきっとうまく行く」って燻ってるガキどもはどうすればいいんだ….って思ってた。

その時既に音楽産業は転換期だった事を理解するには若すぎたし、頭が固すぎた。

悩みながら受け入れた結果が良い方向に転ぶ事も沢山あったし、その時はちゃんと喜べた。

でもライブハウスで初対面のバンドマンに「RIDDLE今度一緒にやりたいね!」とか言われたら

「ああ、なんで一回もライブ観てない奴にこんな事言われなきゃいけないんだろう。あ、僕等の後ろにいるレーベルのロゴしか見てねえんだな」とか思ってしまってた。

そう、20代ってのは面倒臭かった。

雑誌にインタビューが載っても髪を切るお金も無かった

自意識と憧れと時代の変化に翻弄されてたって言えばかっこいいけど、普通にめんど臭かった。

「躍進」その2文字が呪いみたいに付き纏って、どうやって自分達を売っていくかって観念が常に頭にあった。


生活の全てにバンドに繋がるヒントを求めて生きてたし、映画(中古レンタル)や本(図書館)を読みまくって何か刺激にならないかってずっと探していました。

今思っても当時のライブハウスの楽屋では「誰が何枚売れた」「今度誰の前座やるらしい」みたいな話題がめっちゃ多かったし、僕達だけじゃなく同世代の仲間達も売らなきゃ売れなきゃってプレッシャーと闘っていたと思う。

今と違って、SNSでバズりドーン!みたいな事が無かった時の話。

シーンってゆうデッカい学校の中で居場所を探して右往左往している気分だった。どうにか一軍に身を置きたい。
便所に逃げ込みたくない。休み時間を寝たふりしたくないみたいな。

フェスは…体育祭の表彰台かな?

あのフェスに出たい その為には云々みたいな話をしっかり落とし込まなきゃって自分と、聞きたく無い自分が常に喧嘩してた。

絶対に仲良くなった方がいい人達の大舞台を2階席から観ながら「何か自分達に取り入れないと、活かさないと…」て気持ちで観てるから全然楽しくなくて。

それでも本人達には「トテモヨカッタデスカンドウシマシタ」って言ってる自分と

地元のライブハウスでガラガラのフロアに向けて誰も知らない社会人バンドがやってるのを観てカッコ良すぎてボロボロ感涙してる自分。

辻褄が合わなくてしんどかった

大好きだったバンドのライブを観ながら「あ、こういう雰囲気は今は流行らないな」って脳裏によぎった瞬間に、そんな事を考えながらライブを観ていた自分にショックを受けて、吐いたりしていた笑

ピュアだったねえ

絶対に成功すると信じて止まなかった仲間が数字を理由に解散した時に「彼等の為に自分に出来る事はもっとあったはずなのに、自分のキャリアアップに夢中でそれができなかった」って自己嫌悪で泣いた。


ピュアだったねええ〜


もうこの得体の知れない強迫観念は「バカみたいに売れるか」「辞めるか」のどっちかしないと消えないんだろうなって思ってたし、24歳の時に出した「BLUE」ってアルバム以降は音源が出来るたびに「はいコレ売れなかったら解散!かいさーんん!!」って思ってた。

いつだってツアーファイナルで解散しようと思ってた




でも「辞めようか」恥ずかしながらそう思った時に初めて自分が恵まれているんだって事に気がつきました。

声ガラガラでガラガラのフロアに叩きつけてた悔しさも、「嫌だ嫌だ!」ってレーベルの会議室でダダ捏ねてたのも、自己嫌悪に陥って泣いたのも

結局自分がRIDDLEってバンドを、もっと言うとバンドっていうものが好きだから産まれる感情じゃん。って気付かされるんです。


それと同時に「失ってばかりだと思ってたけど、意外と貰ってない?」って事にも気付かされた。

作品を作るメンバーとの時間やそれを売るために沢山の人が尽力してくれる事。ライブに来てくれるお客さんや頑張ってる仲間。

色んな人達の顔が浮かんで結局

「次は…どんなの作るうう??」

ってなってしまう。


気が付いたらこーんなに作品出してたよ


20代の頃のRIDDLEの曲を聴くと、「遠くまで届かせなきゃ」っていう想いと 「こんなん俺らしかやれねえだろ!」って情念が混ざり合って非常に面白い笑


明らか詰め込みすぎだしオーバーアレンジだなって思うし、今まさにそれに苦しめられてるんだけど笑

やっぱり愛しい

そこに漂う20代の呪いの残り香を美しくすら感じる






コレってその得体の知れない強迫観念が40になった今はスッカリ消えたよ〜って話で終われたら美しいんだろうけど、全然あります笑

でも当時と違って「まあそうゆうモノだからね!さてどうしてこいつを飼い慣らしてやろうか!」ってくらいになっちゃってるってことですね。

サブスクとかSNSとかが隆盛して、世に出てくキッカケに王道も邪道も無くなった事もデカい。
バンドの数だけストーリーがあっていいんじゃんね?って思えるようになった。

年に数本のライブでも、社会人バンドでも、全然良い音楽は生まれるし貴賤は無いよねって。

それでもフェスとかのメンツに自分達の名前が無いことにちゃんとイラつくし焦る気持ちはあるし、当たり前に自分達にしか出来ない良質な音楽ってなんだ?て悩んでる。

うーん だから20代の頃と考えてる事自体はほぼほぼ変わってないんだけど、受け取る器が変化したよって事だね。

あの時の大人達が僕らに何を言いたかったのか、そしてそこにはしっかり愛があった事も理解したからこそ、夢想的な我を通すバランスやタイミングも何となく掴めるようになった。解るまでに20代まるっと費やした

今はとってもバンドがやりやすい時代になってるし、人生2周目みたいな子達が多いから、きっとコレを読んだら「普通に頭悪く無い??」「うわー老害の過去語りキッツー」みたいに捉えられるかもしれないけど、

絶対ドキュメントとしては、俺達の世代の回顧録のが面白いから笑



バンドから離れたとこでも、若い時に何かバンドにフィードバックしたいと思って漁った本や映画がちゃんと40の自分の趣味として生活を彩ってくれてるのもそうだし、

暇が出来ればライブ観にいく癖ってのは今でも全く抜けてないし、今はちゃんとバンドマンとしての自分と切り離せてキッズ時代と同じ気持ちで人のライブが見れてる。

そして、あの時解散して僕を泣かせた仲間達は

大体復活した

涙返せよこのヤロウ



結構頻繁に会う知人が 僕のこのライブ写真を観て「若い頃の写真??」って言われた事があって。

オッサンのぶりっこ キツイ



「えっ、去年の写真です」って言ったらマジで驚いてて「普段と全然違うじゃん!!不思議だね!やっぱステージに立つと細胞が動き出すのかもね!」って言って貰えて。


その細胞ってあるんだとしたら、きっと楽しいだけじゃ創られなかったモノだと思いました。
涙とか悔しさとか失望とか挫折があったからこそ自分の中に残ったモノなんだと思います。


バンドって苦しいし、辛いし、面倒だし、精神を削られるけど、やっぱキラキラしてるし楽しいし、こんな素晴らしい体験は他に無いって思っちゃうよね…


老害語り終わり!!!
RIDDLEを頑張りますのでこれからもよろしくお願い致します!
サメの話ししようぜ!!

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