私とお母さん

2020年12月

私の母は自宅で亡くなりました。

私が母を見つけたのは亡くなってから5日後。

孤独死でした。


私が幼稚園の時、父と母は離婚をしました。

私は母と暮らすことになり、父は養育費などは一切払わず連絡が取れなくなった。

それからは私と母の2人の生活が始まった。


2人で絵に描いたようなボロボロのアパートで暮らした。雨が降れば家の中はバケツだらけになった。

母は仕事が忙しく、毎日帰りが遅い。

親戚の家に預けられることがほとんど、

いつからか親戚の家に自分が居ることに申し訳なさを感じるようになった。

一人で母の帰りを待つことが増えた。

周りの子達をみて毎日思っていた

「普通の暮らし」がしたい。


私が高校生になりバイトが出来る様になった頃からだろうか、お金のことを私に頼るようになった。

私は自分でお金が稼げるようになり、

早く周りのみんなと同じ暮らしがしたい!

そう思いとにかくバイトをしまくった。

毎月25日、母は声色を変えていくらお金が入ったか聞くようになった。

生活が厳しいと泣きながらお金を請求される毎日が始まった。

私は「普通」になりたかった

みんなと学校が終わったら遊びに行って

休みの日はショッピングなんてして

スーパーで売ってる安売りのダサいロゴの入った服じゃなくて、もっとお洒落な服を着たかった。

私も母も互いが思う「普通の暮らし」の為にお金が必要だった。

その時母がどんな仕事をしていたかは分からない、

でも毎月25日になるとお金の話で揉めるようになった。

高校を卒業した時には私と母の関係は最悪だったと思う。

母の顔を見るだけで暴言を吐いたりパニックになってしまう。それをみて母も悲しい顔をする。

2人で一緒にいても幸せになれない、そう思った。

気づいた時には家から飛び出したかった、逃げ出したかった、母から解放されたかった。

母に内緒で旅館の住み込みの仕事を見つけてきた。

こっそり面接に行くつもりでいたが見事にバレた。

母は離れないでくれ、ずっと一緒にいて欲しいと泣き叫んだ。そして体調を壊した。

母を病院に連れて行く為、面接は辞退した

母は体調が悪いからなるべく一緒にいて欲しいと、プラスα働けないからお金を入れて欲しいと。

私は働いた、就職活動なしにして、

朝〜夕方までケーキ屋の仕込み

夕方〜居酒屋orキャバクラか

とにかく働いて働いた休みなど作らず

気がついたら母にお金を渡すこと、母のために働くことが私のが当たり前になっていた。

いつしか朝起きたら涙が止まらなくなった

毎日泣き叫びながら仕事に向かっていた。

仕事が終わり家に帰ればまた泣いた。

壁に思いっきり頭を打ちつけて、

腕が引きちぎれるくらいに噛み跡をつけた

自分の部屋にあるものは全部壊した。


母はそんな私を見て、少し休もう。

お仕事辞めていいから、お願い休んでと


休めないよ、お金稼がなきゃいけないんだもん

お金必要じゃん

気がついた時には心も身体もボロボロになっていた。



母から逃げたかった。


気がついた時には逃げていた。


逃げて逃げて逃げて逃げて、 


でも血の繋がり、私の母であることからは逃げられない。


私も馬鹿だ。逃げたいのに、寂しくなると母の声が聞きたくなる。

逃げたいのに、私の母であることは変わらない。

母の愛情が欲しかった。


逃げる私に母は優しく歩み寄ってくれた

それを私は拒否した。

私は母にしてきたことを反省した、母に歩み寄ろうと努力をした

そんな時は母は私を拒否する。


なんでもっと上手に出来なかったんだろう

逃げ切ることも出来ず、歩み寄ることも出来ず


母は亡くなってしまった



お母さん。

こんな娘でごめんなさい。

大っ嫌いも大好きも伝えられなくなってしまった。

もっと早く、お母さんの大切さに気づければ良かった。

最後会ったのも覚えてない、最後話した会話も覚えてない。

お母さんの愛情がいっぱい欲しかった。


お母さん。

私はお母さんより長生きするよ。

天国で会えたらお母さんより

年老いた私をみて笑ってよ。

産んでくれてありがとう。




これが私とお母さん。










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