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“愛着”というシロモノに出会いたい

noteってちゃんとまとめなくてはという感覚がずっとあって、いつも腰が重くなってしまいがちな自分がいる。
これを楽しむためには、どうしたらいいんだろうなーって思う。

私には「Takram Radio」大好きなラジオがある。ラジオをナビゲートされているのは、渡邉康太郎さん。
渡邉康太郎さんの声色や語るリズムがとても心地よくて、心がニュートラルになっていくから好きだという側面もあるけれど、それ以上に毎度出てくる比喩や見立ての表現が美しく、そんな見方があったのかと姿勢を正されるような気持ちになる。

そんなTakram Radioで、情報学研究者のドミニク・チェンさんがゲストの回。
「デジタル時代にどのように“愛着”を実現していくのか」という問いが面白かった。
ドミニク・チェンさんは、ぬか床への愛着を深めるために、ぬか床の体調をデジタルで確認をできるようにサービスを開発したり、ぬか床に話しかけると今の状態を教えてくれるようなセンサーをつくってみたりしながら、愛着がわく工夫をしているという。
モニタリングは緻密に、混ぜることは人の手でを実現して、ぬか床が身近になることで、さらに発酵食に愛着が湧いてくるのだそう。

なるほど。1つのものを別の角度から見てみたり、他の環境に身を置くことで見えた別の一面を愛おしく思ったり。もっと深く知りたいという欲求をくすぐる問いが必要なのかもしれない。
反対にいうと、何もせずに愛着を持ち続けられるものは、この世の中にほんのひと握りかもしれないとも思った。


「愛着」


愛着の語源は、仏教の言葉で(あいじゃく)と読み、欲望にとらわれて離れないことということらしい。執着に近い。
今私たちが使っている愛着よりも、もう少し深い感覚だろうか。



私は、自分のことを「飽き性だ」と決めつけていたけれど、愛着を持つ楽しさをまだ知らないだけなのかもしれない。
好きなものはたくさんある。香りもの、お花、コーヒー、チョコレート、ラジオ。
もっと知りたい、もっと違う側面から好きになりたい、という欲望を味わってみたい。


このnoteへの向き合い方もまた愛着。
体系的にまとめた回もあるかもしれないし、今回のように徒然なるままに書き連ねることもあるかもしれない。

私とnoteとの間での呼吸のような会話。


愛着への冒険はまだまだこれからだな。

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