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僕は自分が見たことしか信じない 〜を読んで

ウッチーの解説って冷静かつ的を射てるなぁと最近の代表戦でのインタビューやスポーツニュースを見ていると思う。そういえばウッチーの本持ってたな。と思い出し高校生ぶりに読み返すことにした。

カタールワールドカップアジア最終予選のカタール戦の敗北後、マヤちゃんへマイクを向けて、「勝ってもらわないとインタビューする方もキツいんで。次は勝ってください。」と言ったとき、この人やべぇと思った。マヤちゃんに殴られるんじゃないかとヒヤヒヤした。でもその後、それをあの場で自分が突きつけておくことが代表を守ることになると思ってやった、というコメントを見て、さらにこの人やべぇと思った。この本を読めば少しはウッチーのことがわかるかなと思って読み進めたけれど、読み終わった今でも結局よくわからない人だった笑。本当に掴みどころのない不思議な人だなという感想。

この本はウッチーがドイツに行って2年目に書いた本だ。現役の頃はクールで知的なプレーヤーというイメージだった。わりとみんなそうだと思う。だからこんなにたくさんのことを感じ、考え、その上で不言実行を美学としていることを知り、素直に驚いた。

クールだが人と関わることは避けず、周りの人を大切にし、友達が多く、お世話になった方々への恩義を忘れない。目立つのは嫌いだがカラオケは大好き。感情は表に出さないが、大切な人たちへのためなら、いくら時間がなくても疲れていても自分にできることはなんでもやる。逃げ道を作ることは恥ずかしいことではないが、言い訳や文句は言うべきではないと言う。緊張や重圧に鈍感であるが、良いストレスは常に感じていたいと言う。感情は表に出さないが、思っているだけでは伝わらないと言う。

彼の人となりはたくさんの逆説で表現できる。だからこそ不思議なのだ。

読んでいると、さっきと言ってること違くない?と思う瞬間が結構ある。しかし内容を読んでいくと、なるほど言いたいことは理解できる。文章から、本当にそう思っているんだなと感じる。きちんと考えた上での自分の信念であり、すべてに理由がある。矛盾していそうな考えでも、両方とも内田篤人の本音なのだ。たしかに人間の考えというものはキッパリと白黒つけられることばかりではない。微妙な表現や捉え方の違いを含めて、正直な気持ちを脚色なく書き綴っているのだ。結局どっちなの?ではなく、どっちもなのだ。そこからも「素の自分を隠さない」という彼の信念を感じる。

彼は本の中で、折に触れて怪我について語っている。少しくらいの痛みは我慢して試合に出ることもあった、でもそれはよくないことであると。もっともっと選手として成長できるよう、自分の体と相談しつつ上手く怪我と付き合っていきたいと言っている。彼がその後怪我に悩まされ、それを理由に引退を迫られることになることを知っている未来人としては、読んでいて心苦しいところが何度もあった。また、大好きな鹿島での再びのプレーも夢見ている。海外で結果を出せたあとは、鹿島でまたプレーできたらいいなぁという風に。彼にとって本当に大切な場所であることが伝わってくる。

本書の話とは逸れるが、その後彼は2019年に鹿島のピッチに戻り、主将としてプレーすることになる。しかし、長年痛めてきた右膝の回復は思わしくなく、2020年に引退を決意する。引退セレモニーで彼は、「大した話はしないので、大丈夫です。」という始まりで語り始める。引退の理由としては、「身体の状態が戻らないまま鹿島でプレーをすることは違うんじゃないかと、サッカー選手として終わったんだなと、考えるようになりました。」と言う。実に彼らしい。彼の人間性、経験や実績があれば、第一線のプレーヤーではなくともベテランの立場としてチームに貢献できる選択肢もあったはずだ。心から誇りを持って鹿島のピッチに立っていたからこそ、自分の理想とはそぐわない状態で選手としてプレーし続けることが許せなかったのかもしれない。

もちろん、彼のことだ。語らずに内に秘めた思いもたくさんあるだろう。本人にとっては余計なお世話かもしれないが、私は解説者・指導者としての彼の第二の人生も楽しみにしている。もしも彼が何らかの形で鹿島に戻ってくることがあれば、そのときにはスタジアムまで全力で応援しに行くつもりだ。


川崎フロンターレのサポーターとして。。


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