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女ふたり、暮らしています。 〜を読んで

結婚をしなくても幸せに暮らせる世の中。

現代ではよく耳にする謳い文句だ。

タイトルを見る分にはこの本も、「結婚」をしなかった女性が結果的に二人で暮らしている類の話かと思ったが、それは違った。二人は非常に前向きに、人生の1つの選択として、今の生活を望んで手に入れたのだ。そしてその日々はとても魅力的なものだった。

元コピーライターのキム・ハナと元ファッションエディターのファン・ソヌの書く文章は非常に読みやすく、本人たちの意思や気持ちを理解しながら読み進めることができた。二人が書く文章がバランスよく交互にセクションになっており、時折互いの話に交わりが見られるのもおもしろく読めるポイントだ。

コンビは正反対な方が上手くいくということを聞いたことがあるが、この二人もそれに当てはまる。きっちり几帳面で気に入った物を修理しながら長く使うキム・ハナと、片付けが苦手ですぐ物を壊し次から次へと部屋が埋まっていくファン・ソヌ。料理をしないキム・ハナと、忙しくても短時間にレストランのような質の高い食事をパパッと用意してしまうファン・ソヌ。他にも二人の価値観や性格には相違点がたくさん出てくる。しかし反対に共通していることも多く、様々な楽しいことを共有し、喜びを何倍にも膨らましながら幸せに暮らしている。また二人は、自分とは異なる価値観について、受け入れようとする努力を惜しまず、そこからたくさんのことを学んでいる。

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読んでいて特に印象的だった話を3つ厳選する。


1. 「自炊生活」が「シングルライフ」になるのはいつ?

キム・ハナは、自炊生活はいつシングルライフに変わるのか、という問題は、タオルのそれに似ていると言う。破れたり相当なことがない限り、タオルというのは永遠に使い続けることができる。日々使えばゴワゴワしてくるし吸水力も落ちるけれど、使えるから使ってしまう。いつの日からかキム・ハナは、2年ごとの1月1日に家中のタオルを同じ種類のもので総入れ替えするようになったそうだ。気持ちも新たになるし、色と大きさの揃った柔らかいタオルは生活が生活にもたらす影響は本当に大きいと言う。自炊生活からシングルライフに変わるタイミングというのは、バラバラだったタオルを一斉に交換することのように、自分で切り替えをして決めるものであり、両者の最も大きな相違点は、今の生活を「一時的」なものと考えるのか、「半永久的」なものと考えるかだと言う。「ちゃんとした物」に囲まれた生活は整い、美しく丁寧に作られた物の力というのはそれほど強力なことだと。

私は2020年から、本当に自分が気に入ったものしか手に入れないことに決めている。ふらっと立ち寄った雑貨屋さんで衝動買いなど言語道断だ。自分の性格上「買うとき」がピークであったものを長く使えた試しがない。買ったら家のどこに置くか、どう使うか、イメージをした上で本当に欲しければ買うことにしている。そうすると自然に、気に入ったものに囲まれた生活になってきて、丁寧に過ごそうという意識が芽生えてくる。なんというか、整うのだ。この価値観が定着してきた私にとって、このタオル理論はとても納得できた。うちのタオルはまだバラバラだ、それらが一斉に同じものに入れ替わる日はそう遠くはないかもしれない。


2. 幸せは、バターだ!

業者に頼んだ新しい家具の設置が上手くいかず最悪な気分になっていた二人が、空腹を満たすためにサツマイモにバターを塗って食べていたときに、ファン・ソヌが叫んだ言葉である。バターは贅沢に塊で乗せて食べる習慣があった彼女が放ったその言葉は、二人の間に流れる嫌な空気を吹き飛ばしたのである。この経験談をもとにキム・ハナは、「幸せは、保障された未来だ」と話している。自分を幸せにするものは何なのかを考えてみて欲しいと。そしてそれを知っておけば、辛いことがあっても思ったより早く立ち直れるだろうと言っている。

これは私も日頃から感じていることだった。好きな物があるということはとても幸せなことだ。対象はなんだっていい。それを見たり、聞いたり、感じたり、行ったり、食べたり、することで自分が少しでも元気になれる心の栄養剤を知っているということは、生きる上で大きな強みである。日々生きている中で、ストレスが全くない人なんていない。嫌な気分になる日だってある。そんなときに、自分を笑顔にしてくれる存在は偉大なのだ。私はこれからもたくさんの栄養剤と共に生きていく。


3. 私たちは別世界に住んでいる

キム・ハナに聞こえている音がファン・ソヌには聞こえない。感じている匂いがわからない。見えているものが見えない(視力の問題)。といったことが多々あるそうだ。キム・ハナはこう言う。私たちは世の中を全く同様に知覚するのではない、と。そして誰かと一緒に暮らすことで、相手との違いがくっきりと浮かび上がり、それによって自分についてより深く知ることになる。その違いを興味深く受け止め、自分と相手をありのまま見守るよう努力することが大切であると話す。

私は今、弟と住んでいる。彼が使ったあとの洗面所にはたくさんの髪の毛が残っている。私は自分が次に使うときにいつもそれを掃除してから使う。それを彼に言うと、ごめん気づかなかった。というのだ。こんなにもはっきりと見えるのに!?だが考えてみれば、彼は私よりも視力が悪い。外に出るときはコンタクトをしているが、家の中では裸眼で過ごす。鏡に映る自分の顔もはっきりとは見えないらしい。メガネは嫌いなようで掛けたがらない。つまり、彼には本当に見えていないのだ。気づけるはずがないのだ。キム・ハナの意見を聞いてハッとした。私は知らないうちに、自分に見える世界を基準に物事を考えてしまっていたのだと思った。もちろん、見えていない、気づいていないからといって人に不快な思いをさせることは仕方ないと言いたいわけではない。ただ、見える立場の人間として、見えない立場のことを考えていなかったなと思った。今日も洗面台には髪の毛が落ちている。見える私はそれを掃除してから使えばよいのだ。


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それぞれの視点で描かれている二人のエピソードだが、共通していることがある。それは、互いに同居人のことを心からリスペクトしているということだ。自分にはできないこと、苦手なことができる相手に対して素直に凄いことだと言いきちんと感謝をする。反対に自分ができて相手が苦手なことは、できないことを咎めるのではなく理解しようと努めて、できる自分が補えば良いとする(もちろん衝突はするが、それも含めて楽しい同居生活だ)。彼女たちの暮らしは多くの人々の憧れであり、ロールモデルとなることは間違いないが、すぐに真似できる物ではないこともわかるだろう。友人と共同で家を買って暮らすというのは、幾重にも重なるタイミングや周囲の人と環境・ライフスタイルがマッチした奇跡、何よりも彼女たち自身が努力をした上で成り立つ幸せの形だ。

とはいえやはり、彼女たちが提案してくれた1つの新しい「家族」の形は、現代においての新しい選択肢として人々の希望となると私は思う。日々の暮らしというプライベートな部分を世界に向けて公開してくれたことにも感謝したい。綺麗事ばかりではなく、大変なことや苦労していることも含めてシェアしてくれたからこそ、現実味のある暮らしの形としてこうして受け取ることができるのだろう。

暮らしを見つめ直しなくなったとき、またこの本を手に取りそうだ。


女ふたり、暮らしています。〜を読んで   ...Fin


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