見出し画像

映画鑑賞:蜜蜂と遠雷

映画『蜜蜂と遠雷』の感想です。(ネタバレなし)

CMの迫力とポスターの色鮮やかさに惹かれて、観てきました。
ギリギリにチケット取ったものだから最前列。
原作未読で乗り込みました。

感想

絶対原作読んだ方がいいです。笑

音楽の迫力、色味の美しさ。天才たちの他の候補者と、自分との戦い。音楽に対するそれぞれの思い、記憶、情熱。2時間なんてあっという間で、とにかく美しい映画でした。でもきっとこの作品の真髄はそこじゃない…!

原作の文章量の多さに自分も少し読むのに覚悟が必要だなーと思って読まずに行ってしまったのですが、映画をみて「ああ、この世界観を文章のみで伝表現するには必要なボリュームだったんだ」と実感しました。

クラシックって長いですよね、一曲。音楽をメインにするとどうしてもシーンの回し方や、セリフなどを削る必要がある。なので、原作を読んでない自分は「ん?ここはどういう意味なんだろ」と思ってしまったところがあり、まだ充分にこの世界観に浸れてないような悔しさが残りました。(自分のせいです)

映画の感想に戻すと、舞台はコンクールで、それぞれが自分の人生を、自分自身を音楽に乗せてその数分に全てをかける。ときにはみんなで笑い合って遊んで、ときには苦しんで、人間臭いのにどこかやっぱり高尚で色鮮やかで、格好悪くて格好いいんです。
聴いて見て面白いのが、同じ曲でも解釈は十人十色で、奏でる音楽に人柄が現れているところ。それはもちろん正解も不正解もなくて、技術ももちろん必要なんだけど、やっぱりその人が音楽に関わらずどういう人生を歩んできたのか、が大事なんだろうなあと思いました。命をかけてぶつけられるものを持つってやっぱり才能だなあとも思いつつ、自分にも何かつかめるものはないか、そんな気持ちにもなっちゃうような映画でした。(なっては失礼なような)

この映画をみて思ったのは「小説であれ、映画であれ、制限された中でなにかを表現することの難しさ、面白さ」です。
本では「文字」だけで、色、音、心理描写、質感まで読者に伝える必要があります。単純に「赤」と書くだけでもわかるけど「リンゴのような深紅」とか「血の池」とか(物騒ですみません)文字の遊びで、内容が変わるし、そこに著者の人柄も出てくるところが醍醐味ですよね。
逆に映画は時間、が限られています。人間映画で集中できるのが大体「2時間」だそうです。その時間内でどう表現するか、何を削り、どんな絵を撮るか。セリフが多すぎると煩雑とするし、でも足りないと伝わりきらない。絶妙なバランスが必要になりますよね。監督によって撮り方、見せ方、BGMの入り方まで変わっていくのもまた面白いです。

どちらも共通するのは「限られた条件下でどう天才と音楽を表現するか」ではないかと。
「聴覚」という音楽で欠かせない要素を使わずして天才を表現する難しさ。言葉の力を駆使して、読者の想像力をいかに想起させるか。
演奏の場面をメインにしつつ1人1人の戦いに焦点をあてることを疎かにしない映画の難しさ。音楽で魅せつつ、敢えて台詞などで補足しすぎず、役者の表情や映像で、観客の想像力を掻き立てる。
人間は五感で何か欠けると、それ以外の感覚が補填し出すのと同じように、この作品も何か制限されることで、読者の、観客の想像力が補填する。むしろ補填されることで完成する、そんな作品だったのかもしれません。
だからこそ、原作読んでないのもまた悔しいんだよなあ…私の力では補填しきれなかったような気がするのです…

まとまりなくだらだらと綴ってしまいましたが、まずは原作を読まなきゃ始まらないので笑 
公開中に読んでリベンジしたい…!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?