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福祉のケアのあり方~データを補完する力

グリーフケアにかかわって、いろんな遺族の方と接していると、知識としてデータやエビデンスを持ってはいても、とてもじゃないけどそれだけじゃないって瞬間に遭遇する。
※以下、個人の描写に脚色あり※

医療と介護が犬猿の仲になりやすい理由の1つに、「医療は数値を根拠とし、介護は観察と直感を根拠とするから」という説がある。「バイタルデータは変わらないけど、なんとなくいつもと様子が違う」といった微妙な変化を感じ取る力、これが福祉的なケアの基本であると考えると、グリーフケアは確実に福祉のエリアに属する。

たとえば、「悲嘆の回復までの期間は平均4.5年~6年」というデータがある。「回復」とは、「社会生活に支障が出ない程度に感情や行動が統制できる状態」といった理解でよいと思う。つまり、親、子、配偶者など、大切な家族を失って、普段の生活に戻るまでの期間が平均してこれくらい、という数値である。

が、あくまでも自分の体感ではあるが、「子どもを亡くした母」の悲嘆は、他のどの遺族より強く、長く、深いように思う。特に自責の念がすさまじい。病死、事故死、犯罪被害、そして自死。止められなかった、守れなかった、死なせてしまった、「私が悪いんです」「わたしのせいです」という言葉は、他のどんな場面よりも多く、強く発せられる。その重さに接すると、口が裂けても「そんなことないですよ」なんて、言えない。

子を亡くした母親が、他の遺族といちばん違うと思ったのは、絶対に、亡くなった子の現在の年齢や学年を間違えないこと。これが親や配偶者、兄弟姉妹だと、とっさに故人の今の年齢は出てこない。必ず「亡くなったのが何歳、あれから〇年経ったから、もし今生きていれば何歳」と指を折る。

子どもを亡くした母親たちは違う。「今年で小学3年生」「来年、高校受験」「成人式なの」「今度の誕生日で28歳」と即答する。周産期で亡くなっても、幼児期や学齢期、大学生、社会人であっても、まったく同じ。母親にとって、子どもはずっと生きている。それも、「あなたの心の中で…」とかいったおためごかしやごまかしではなく、ほんとの意味で、生きているんだと思う。

先日のケアで、自死でお別れした子どもさんの愛用品を持ってこられた方がいた。風呂敷で何重にも巻いて、「今でもこれ以上さわれないんです」と言って、いちばん表をそうっと、そうっと、小さな声で名前を呼びながら、何度もなんども、なでていらっしゃった。ときどき顔をあげて、「今になってこんなことしてもね」とふふっと笑った。真に悲しいとき、人は涙を見せない。

直視できない悲しみに対峙して、ケアの基本は受容、共感、傾聴、などというけれど、こんな場面でいったいどうしろと、と切実に思う。グリーフケアでは、一緒に泣くこと、いわゆる「もらい泣き」も、悲しみの共有の表現として肯定されているけれど、自死した子を愛する母親に向き合うと、もらい泣きも何も、声を発することさえできない。この体験をした方に対する自分の立ち居のすべてが軽く思えてしまう。

ケアを求めて来られる方に、何もできない。ただ隣に座って、暖かい陽射しを受けながら、愛用品の風呂敷包みと一緒に時間を過ごす。お茶を勧めたり、お菓子を食べたり。ずっと、ほとんど無言のまま。こんなことしかできなくて、ごめんなさい、ごめんなさい、と申し訳なく思っていると、帰り際、その方は、「皆さんありがとう」「一緒にいてくれて」と言った。

それを聞いて初めて、涙があふれ出た。

無力な私、これでいいのか。でも、これでいいのかも何も、これしかできないじゃないか。これでいいと言ってくださる方がいるなら、私はいつでもここにいよう。平均4.5年、それがどうした。そうじゃない方だっているだろう。

グリーフケアにはいくつか効果的とされる手法があり、エビデンスもあり、データがある。けど、それだけではまかないきれない部分は、自分自身の感覚で、全力で補う必要がある。まだ確立されていない項目が山のようにある。微力だけど、だからこそ全身全霊で。取り組むべし。

そして、なんとこんなところでも、社会福祉士のジェネリックとスペシフィックが問われてるんだなーと。生涯、福祉の学びは尽きません。

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